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北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
十、盛岡降伏
 
(二)遠野の事情
  藩中で一戦も交えなかったのは、支藩である遠野の藩兵たちです。
「なんでも南部藩は、全軍体制で秋田征伐さ動いたづぅことだ」
「したら盛岡ばりでぇなぇ八戸も花巻も、俺ぁどごの遠野藩もだべ」
 南部軍が、秋田に向けて出陣したらしいといううわさは、遠野にもながれてきました。いかに南部弥六郎済賢(遠野藩主)ひとりが反対しようとも、御前評定で決した藩論であれば、ここにもいつ出兵令がとどいてもおかしくありません。留守居役の新田小十郎、それがいつかと待っておるのです。
 だが、正式にはなにもなかったのです。藩論が秋田討伐と決したことも……。遠野藩主弥六郎済賢の幽閉の沙汰(さた)も……。
 もしかしたら、藩論に反対されて閉門の危に遭ったのではなかろうか……。
 それならそれと、遠野屋敷(盛岡)から音沙汰があってもよかろうに……。
 新田小十郎は、盛岡へ使者をおくり、判明したことは……。
 弥六郎は、七月十七日に登城以来遠野屋敷に戻らない……。あきらかに屋敷以外の場所に幽閉されているらしい……。遠野屋敷の住人もみな、外部との連絡を禁じられて閉門中ということでありました。
 あの日(七月十七日)……。あくまでも決した藩論に承服しない弥六郎の前で、佐渡さまがつと座を立ち利剛の前に平伏しての言上……。
「一同の志(秋田討伐)のありようはご覧に仕儀にございます。かくなりましたる上は、軍議にあくまでも不同意を申す弥六郎どのを、このままに差し置くことは如何なものかとぞんじます。せっかくの大事が内から崩れ申すおそれなきにしもあらず、このさい弥六郎どのに閉門を仰せつけくださいまするよう……」
 しばしば申しておりますように弥六郎済賢といえば、第一の藩政功労者であるばかりか身内でもあります。藩主利剛さま、あきらかに困惑顔です。
「殿、即刻のご沙汰を」
 身内といえば佐渡さまとても同じ(義兄弟)ですが、再三の催促であります。
「家老たちで協議の上でいかようにも存分にいたすよう……」
 低いとはいえ藩主利剛さまの声です。
「お手前のご所存はいかがか」
 すかさず佐渡さまは、南部監物、南部主水、桜庭豊後、毛馬内伊織等家老の面々に一々同意を確かめられました。
「ただいま、家老どもの意見も弥六郎どの閉門に同意つかまつってございます。殿のご裁断をお願い申しあげます」
「藩論に不同意の八戸弥六郎に閉門蟄居を申しわたす」
 今度は利剛さま、鋭く声高でありました。
 本来ならば、こうした閉門の処分は、屋敷に使者を立てて申しわたすのが定法なのですが、このときは異例にも直々の申しわたしであります。しかも、その場で即刻に拘束して厳重幽閉であります。
「このまま屋敷に帰しては、弥六郎のことだ、今後なにをしでかすか分からない。途中で待ち伏せして闇討ちにしよう」
 毛馬内派のなかには、そんな気配がみえみえです。もしそんなことにでもなれば、これまたお家の一大事……。
「弥六郎どのを屋敷にもどしてはならぬ、即刻に幽閉せよ」
 佐渡さま、弥六郎の身の安全を守るための緊急の処置でもございました。
 もともと遠野は僻遠の地です、これまでだって、ただうわさだけが飛び交っておりました。どんな事件でも遠野に実情が伝わるのは、大勢が決したころです。
「ちかぢか、天子さまに楯ついた会津を討伐するための戦ぁになるどよ」
「俺ぁほの弥六郎さまが鎧兜のお姿で、出征の盛岡藩兵を引き連れて盛岡八幡宮さ勝利の祈願をされだっつことだ」
「いよいよ、遠野兵も出陣だべが」
 しばらくして、仙台藩が会津の味方にまわったので、盛岡藩兵は怒って全員引き揚げたという情報です。
「そだらば、遠野は如何(なんじょ)になるのす」
 遠野にとって、これは一大事です。仙台藩を敵にするとなれば赤羽根峠、五輪峠ひとつ隔てただけの国境(くにざかい)です。このうわさには、遠野はどよめきだちました。
「弥六郎さまぁ、勤王ひとすじのお志でござんすもの、遠野はぜひとも伊達を討たねばならなぇ……」
 遠野は、これまでもしばしば赤羽根付近の境争いに遭遇しております。おそらく盛岡と仙台の合戦となれば、真っ先に戦わねばならないのは遠野でしょう。気仙兵は赤羽根の守りなぞ押しやぶって侵入してくるに違いないのです。
 江刺境の仙台兵も田瀬口、鱒沢口から侵入するのは容易です。遠野は東西からの挟み撃ちに遭うのです。
「しかし、盛岡藩は仙台藩と本気で戦えるんだべすか」
 かりにもし、本家の盛岡藩が仙台と同盟を結ぶようなことにでもなれば、盛岡も敵にまわし骨肉相食む事態となります。
「いやはや、事(こど・重大)な事態になったもんだ」
「弥六郎さまぁ、如何(なんじょ)になさるんだが……」
 そうこうしてしている間に迎えたこのたびの、仙台藩と盛岡藩同盟の秋田征伐の情報なのです。遠野藩兵はひとまず胸をなでおろしました。
 しかし、それならそれと遠野への出兵要請があってもよいのですが……。
「弥六郎さま義弟の楢山佐渡が大将になって、鹿角口から破竹の勢いで進攻して敵の第一陣十二所村を占領したんだどよ。大館の城もちかぢか落ちるづぞ、ハ……」
 南部藩が戦勝情報に、遠野も湧きにかえりました。
「さあいよいよ遠野勢も出陣だべよ」
 この機会に手柄をたてて、加増やお取り立てにあずかろうと、腕に覚えのある者はみな勇み立ちました。なにしろ一番首、一番槍が加増二百石などという時代です。二男、三男の冷や飯ぐいの連中には絶好の機会です。
 しびれをきらして新田小十郎、使いをおくり判明したのが、今回の「弥六郎幽閉」の報でありました。
 盛岡藩の方針は、遠野には一兵の援軍も頼らないばかりか、戦については一切の口出しを禁じる。処分の詳細は戦後に行うというものです。
「戦を避けられてよかった……」
 出兵がないと知って喜ぶ者もおります。
「功名の機会を失った」
 と、落胆する若侍もおりました。
 遠野郷は秋の庭じまいも終わったころでございました。
 突然、盛岡城内に幽閉されているはずの藩主弥六郎からの速馬でありました。
「奥羽同盟軍総くずれである。秋田方面から官軍が盛岡城下に押し寄せてくるので、遠野勢は完全武装して全軍盛岡まで出よ。その際、できるだけ多くの干物、塩魚、海藻類などの海産物を兵糧として持参せよ。非常の事態なれば、上宮守村の夫天馬(ぶてんま)を可能なかぎり動員して運搬にあたらせよ」
 夫天馬役というのは、遠野藩が上宮守の村人に従来(寛永四年)から課している遠野と盛岡間の物資の輸送役です。
「なにしたってす、これまでだれば南部軍は常に勝った勝ったの音っこ(情報)ばりで、大館城も落としてハ、秋田に迫る勢いだっつ話だったのに……」
 他国(領)での勝ち戦が、いきなり負け戦となって間近に、しかも盛岡城下に迫ったというのですから、驚いたのは遠野の藩士たちです。
 これまで戦にかかわっていないだけに、遠野は楽観ムードでありました。一転して敗色の濃い第一線に向うのですから、衝撃は大きくはしります。
 しかし、ぐずぐずしてはおられません、すぐさま新田小十郎長辰(留守居家老)は部隊を編成し、愛宕の松原広場において出陣式です。
 先鋒は鉄砲隊三十人、隊長は番頭の工藤直右衛門紀内、小具足の上に陣羽織を着て、裏朱の陣笠をかぶって馬上にあります。
 この後に大将中館数馬伊織が同じく小具足の上に陣羽織、裏金の陣笠、中館家重代の瓢箪の前立て打った兜と朱塗りの槍を従者に持たせての馬上姿……。
 つづいて長柄組、二間半の大槍の鞘を払って朝日に光る矛(ほこ)……。
 その後に弓組、徒歩組、馬上槍隊十五騎、総勢百五十人……。
 みな若くたくましくい藩士たちです。堂々たる軍隊なのですが、どこか湿潤としたものがありました。すでに負け戦と知れているからでありましょうか。
 見送りの群れのなかには泣いている者が大勢おりました。
 隊は動きだしました。見送りは通常ここ愛宕橋までとなっているのですが、なかには隊列の後を小峠(上宮守村と下綾織村の境)までも追う者もおりました。
 ところで見送りの者たち、だれひとりとして気づいていないようですが、この隊列とは別に、重い荷駄を背にした貧相な農耕馬が、みな頭をたれて十数頭、寒風の辺りを小峠方面に向っておりました。馬だけではありません、馬を出せなかった者は、みずから荷を背にしての人夫です。これが夫天馬なのであります。
 翌日、秋田勢と戦うつもりの遠野中館隊は盛岡城下に到着……。
 ところが、どうもおかしい……、商家は軒並み店を閉めてひっそりしております、通りは人影もまばらです。
 内丸の遠野屋敷に着いてみると、意外な話でありました。
 戦はすでに終わったというのです。弥六郎の幽閉も解かれ、いまは終戦処理のため城に詰めっきりだということです。当然に屋敷も閉門を解かれておりました。
 それでは、完全武装でかけつけた遠野隊の任務はなんだったのでございましょう。
 それは、速馬で届けられた書状の不備というべきか、読み違いというべきか……。
「秋田方面から官軍が盛岡城下に押し寄せる」
 これは、「官軍が盛岡に侵攻する」と読める……。
「遠野勢は完全武装して盛岡まで出よ」
 敵と交戦のために「武装して出よ」と読める……。
「海産物などを兵糧として持参せよ」
 これは、長期戦に備えての「兵糧の持参」と読める……。
 あの書状はだれだって、このように読むでしょう。しかも、遠野勢は長い間、出陣の報がいつかと待機しておったやさきのことであります。
 ところが真の意図は、
「官軍を歓迎する南部藩兵として、恥ずかしくないような軍装をして……、
 さらには、官軍を接待するための兵糧として、多量の海産物などを持参せよ」
 と、いうものだったというのであります。
 藩主南部美濃守利剛さまは、本丸を出て三の丸の隅御殿にみずから閉門蟄居……。
 南部監物をはじめとする家老たちも、みな自宅に閉居しております。
 いまは、ひとり八戸(南部)弥六郎済賢だけは、屋敷を出て二の丸館に入り藩主利剛さまにかわり藩政をとりしきっているのです。
「盛岡藩士はみな朝敵となってしまった。そこでじゃ、中館隊の任務じゃがな、盛岡藩の諸士にかわって盛岡城の警備にあたる。そして、ちかぢか迎える官軍諸士のお出迎えと諸案内、お接待である。天朝の軍隊じゃ、くれぐれも失態なきように」
 遠野藩兵、戦にならなかったことに驚きもしたが内心は喜んだに違いありません。
「さすがは俺ぁたちの弥六郎さまだ、勤王の立場を貫かれて今回の戦にぁ、初手から反対されて、ついに官軍さのしあがった。これからは南部領の支配者づことだ」
「したら、俺ぁたちも官軍の兵士づわけだ、ハ」
 ところで、佐渡さまはいま、どこでどうなされているのでございましょう。
 
(三)敗戦処理
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