北の杜編集工房トップページ - 北の杜編集工房会社概要 - 北の杜編集工房北の杜文庫のご案内北の杜文庫別冊・人物ドキュメント文庫北の杜文庫・単行本作品リスト - 北の杜編集工房お問い合せ - 北の杜編集工房
北の杜編集工房 
北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
八、衆議一決
 
(三)衆議一決
  城下に刻太鼓の音が響きわたります。
 御前会議は、この太鼓の音が鳴りだしてから半刻後には開始されるのです。
 藩士たちがぞくぞくと登城してきます。二の丸門のあたりを大きく肩をゆさぶりながら歩いているのがまさしく八戸弥六郎済賢……。後ろから呼びかければ届く距離ですが、佐渡さまは声をかけられませんでした。
 盛岡城二の丸の大広間(菊の間)に、参会者の顔ぶれもおおかた揃ったかと思われたそのとき、小走るように駆けこんできた藩士がひとり……。遠山礼蔵です。
 議をとりもつ首席家老南部監物に向かい……、
「評決に先立って、急ぎ申しあげたき儀が……」
 と平伏……。南部監物もまた……、
「遠山どの、その儀あいわかった……、しばらく待たれよ」
 と、はやる遠山を制してその座を退かせました。
 遠山礼蔵と申すのは、八戸弥六郎(遠野)にはことのほか贔屓(ひいき)にされている勤王派で、前に九条総督一行が盛岡を発たれるおりに護衛のために、すすんで秋田まで随行した藩士……、ただいま秋田から戻ったところでありました。
 やがて、藩主の左近衛中将南部美濃守利剛さまも着座……。
「……このたび、二旬(二十日間)にもわたり九条鎮撫総督以下総勢千三百名余、わが盛岡城下ご駐屯のみぎり、おのおの方にはその接待におよんで特段の尽力をたまわったこと、まことに大儀であった……」
 藩主利剛さまの挨拶につづいて首席家老南部監物……。
「……これまで回を重ねた評定に、もはや意見も出つくしたものと思われる。
 いまや、列藩の盟約にしたがい仙台と組みして秋田を攻めるか……、
 それとも、天朝の勅命にしたがい秋田を擁護して仙台を撃つか……、
 道は一つじゃ、藩の運命を賭けての評決でござる。
 評議に先だって、上洛されて四ヶ月、無事にその任をすまされてめでたく帰国なされた筆頭家老楢山どのより、京視察の状況報告をうけたまわるところであります。
 ところが、おのおの方すでにお察しとは存じますが、秋田に赴いた遠山礼蔵どのが『火急』とてさきほどここに駆けつけました。そこで、まずは秋田方の目下の状況を伺うことといたしたい。されば遠山どの……」
「ぜひ評定開始まえに、殿のお耳へと急ぎはせ参じました。
……秋田城内はじつに騒然(やかまし)くなってきあんした。仙台との戦ぁ激しくなったんでがすな、須川岳方面を指して続々と出兵でござんした。
 また、秋田と攻守同盟の弘前との連絡なんでござんすべが、能代方面との速馬の往来がひっきりなしでがんす。
 それに大館、鹿角口も固めだしたもようで……、かりに、もし盛岡藩の侵攻もあればと万全の備えでござんす。
 ついては、わが藩にゆめゆめそのような動き(秋田侵攻)はないものとは信じあんすが、拙者このたび九条総督の命を奉じてまいりました……」
 総督の命というのは……、
「庄内戦線は官軍が善戦しているものの連日苦闘している。盛岡藩はただちに庄内討伐の兵を起こして、秋田軍とともに官軍の援護にあたれ」
 と、いうものでありました。
 座中わずかに動揺(どよめき)がはしりましたが、弥六郎などはしたり顔、どこ吹く風とうそぶいております。
「さて藩老楢山どのには失礼つかまつった。京都で貴殿が耳目され、また感受されたこと、これよりぞんぶんに時間を費(つ)かわれて詳細にご報告くださるよう……」
 座は静まりかえって、佐渡さまが口を開かれるのを待ちました。
「……最初に視察に際しての結論を述べておきます。
 奥羽列藩の盟約を死守して、背反せる佐竹(秋田)を討つべきと存じあげます」
 凛とした声でございました。やがて、歓声と怒号が入り乱れます。
 これを制して南部監物……。
「御前であるぞ、ご静粛に……、おしずまりを……。楢山どの、お続けください」
「盟約を守り秋田討伐……これが、盛岡藩視察正使楢山佐渡の意志でござんす。そして、本衆議における筆頭家老佐渡の意志でもござんす。ただし、ご藩侯のご意志はもとより諸氏の意志をなんら拘束するものではございません。
 さて、まずは北陸道の状況です。
 もしかして厚い根雪に埋もれてるだろうかと思われた北陸道でがんしたが予想外でござんした。なんと往来のはげしいこと、いやはげしいと言っても一方通行、上方(かみがた)をさすのはわが盛岡隊ぐらいのもんで、近隣の藩兵たちはみな北をさして下るんでがんす。わたしは、そのときふと思いました。公武合体論などという、のぼる(上る)のかくだる(下る)のか、どっちつかずのいわば中立的な藩論をたずさえて上洛しようとしている自分たちが、なにか大きく時の流れ(時局)に逆らっているような錯覚さえ覚えたくらいでござんした」
 佐渡さまは、街道をのぼる道々で得た情報をつぶさに述べられました。
 薩長兵士の醜聞の数々、旧幕府軍残党の抗戦動向、会津藩松平保容への同情論、奥羽諸藩に対する期待感と激励、佐幕派優勢の戦況情報と……。
「勤王ご一新と唱える薩長兵に同情する者、応援する者のただひとりにも会わなかったのでがんす。おのおの方、われわれはとるべき道を違えたのでしょうか。
 もし、東海道か中山道に道をとれば如何(なんじょ)かと申されんすか。
 お馬の前にヒラヒラする錦の御旗を拝めたのだと申されんすか。
 京に入ってすぐに拝ませていただきあんした、錦の御旗なら。薩長兵士が昼ひなかから酒をくらって、しかも飲み屋、酒屋に押し入ってただ飲みでがんす。
 ヒラヒラどころかフラフラ錦旗でござんした」
 弥六郎、さきほどから満面青筋たてて佐渡さまを睨(にら)んでおります。
「不敬だ、佐渡!」
「いささか、情が入るのはしかたないとしても、わたしはできるだけ事実を申しあげようとしているんでがんす。あれでは錦旗がかわいそうでござんす。
 錦旗さえひらめかせればなんでもやれる、とんでもないことでござんす」
 京都市中での薩長兵士の乱行の数々、見聞きされたことの一部始終(あらいざらい)を……。
 粗暴さ野蛮さ不作法さ、商家への押し込み強盗、金品の略奪、婦女暴行、只食い只飲みと、錦旗を盾にしてのふるまいを次々と述べられたのでございます。
 弥六郎は、もう膝立ててふるえております。
「こんなことが許されますか、弥六郎どの。貴殿ならできもうしあんすか、寺の境内で四つ足をつぶして齧(かじ)ることなぞ。いや、できもうせながんすべ。それをやってるんでがんすよ、酒盛りの薩摩兵は……。
 いたずらに激昂(たかぶ)って申しているのではながんす。
 わたしと弥六郎どのとは特別の関係(つながり)にあることは、すでにおのおの方は周知のことでがんす。いまわたしは、その絆(きずな)を割ってもこうして申してるんでがんす。
 かように粗暴な徒輩(やから)に天子さまをおわたしできますか。おのぞみでありましょうか、天子さまは……。ただ、悲しいかな天朝には武力がないのでござんす」
 ここまで語っても、なぜか佐渡さまは、あの岩倉具視との会談には一言もふれる気配がございません。
 もう同盟派の連中は歓呼の声をはりあげたいくらいです。
「無念なことがござんした、それは中島どのを失ったことです。いくら悔やんでも悔やんでも余りあるんでござんす。わたしと意志を異にしても、国(藩)思う気持ちはじつに立派なもの、中島源蔵、真の武士(もののふ)でござんした」
 佐渡さま、お茶をすすられ、袂から出された手ぬぐいで口元を、いやあの動作(しぐさ)はこぼれる涙をそっとぬぐっておられたのです。
 この場におられた藩士たちの瞼にも光るものがあふれておりました。
 さらに佐渡さまは、仙台藩家老の但木土佐との会談の内容にもふれられました。
 また、奥羽越列藩があらためて強化のために新同盟を結成したこと、さらに同盟軍として戦略密計まで、仙台で行動されたすべてを報告されております。
 ここまで、もう一刻余り(二時間余)にもおよぶ時をかけてございます。
「おのおの方、当初、黒白をつけかねたわが藩では、公武合体論などと申しておりました。しかし、そんなどちらも立てるなどというは幻の論理だったんでがんす。
 思いおこしてがんせ、つねに両派から責められ続けたんじゃながんしたか。
 なにをいまさらとお思いでござんすべが、わたしは思っておりました、必ず近いうちにこの日がくると。
 最終的には、わが藩論の公武合体論などでおさまるはずもないことを…。
 ただ、仙台も米沢も会津もそう簡単には陥ちますまい、この戦は一年では終結しないと思っていたんでござんす。そこで、たとい勤皇となるか佐幕となるか、如何なることになろうとも京都に行って天下の情勢を探ってこようと考えたのでござんす。
 そのあげくの決断が、最初に申しあげましたとおりの意志でございます。
 秋田討伐でござる。もしも武運つたなく挫折するようなことあらば、その罪咎(とが)はこの佐渡が、一身に背負う覚悟でござんす。諸氏のご賢察をもって、ご賛意たまわるならば、この佐渡、このうえないありがたき幸せ……、
 衆議としてご藩侯におとりつぎつかまつります」
 語気はやわらかでございましたが、佐渡さまじつに凛然たる態度でございます。一種の殺気さえもみなぎって、反論許さずといった激しさでございました。
 一座、一瞬は黙しておりましたが……、
 やがて、われるような歓呼の声と拍手のうずにつつまれました。
「わたしは、ご家老楢山どののご意志うけたまわったいまに至っても、勤王説は捨て申さながんす。しかし、もし藩論一決お殿様の御意とあらば、臣下としてはしたがうは当然でござんす。ただいますぐにでも討っ手の先陣をつかまつりあんす」
 これまで勤王論を主張して下らなかった番頭目付の石亀左司馬が、膝立てて大声で申されました。
 つづいて、われもわれもと賛同者が名乗りをあげはじめます。右から左から後ろからと賛同の声が起こりました。
 佐渡さま、つと席を立たれて藩主利剛さまが前に平伏して言上……。
「一同の志のありさま、ご覧の仕儀にござんす。なにとぞ御意を……」
「佐渡、ぞんぶんにいたせ」
 利剛さまの決済でございました。
 激怒するのは八戸弥六郎……。
「黙れ、佐渡……。みそこなったぞ、みかけ倒しとはおぬしのごときよ。たとえ幾人が佐渡の申し分に同(どう)じようともじゃ、この弥六郎済賢、断じて承服せぬ。このようなたくらみ、遠野からは一兵たりとも派遣はさせぬ……。
 殿、そのご決済、お取り消しを……」
「弥六郎どの、天下の形勢はかくのごときであります。どこまでもこの藩論にご不満あらば、おもとだけは屋敷にあって昼寝でもしておられるがよかろう。
 もし弥六郎どのと同腹の者があらば、遠慮なく申し出よ」
 佐渡さまの問いに、ただひとりとして反対を唱える者がありませんでした。
 弥六郎に対して「昼寝でもしておられるがよかろう」とは申しても、軍議に不同意の高知家老をこのままにしておくわけにもいきません。大事が内側からくずれないとはかぎりません。
 当然のごとくに弥六郎済賢には閉門の沙汰がありましょう。
 
九、秋田進攻(一)佐渡出立
小さな一冊 発信
北の杜編集工房
〒980-0803
仙台市青葉区国分町3-1-4 ムサシヤビル4F
TEL022-222-6309
FAX022-222-1142
Copyright (c) 2005 Kitanomori Editorial Office All Rights Reserved.