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北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
八、衆議一決
 
(一)仙台滞在
  もっこりと黒い雲がかぶさり、奥羽全土はまさに危急存亡のとき……。
 国(盛岡)では、藩主利剛さまが上洛中の佐渡さまの帰国をどんなにか首長くして待っていることであります。
 しかし、佐渡さま一行が大坂を出帆されたのは予定よりさらに遅れて六月も半ばを過ぎておりました。
 大坂の宿で遭った、藩士中島源蔵の割腹事件の処理にて手間どったからでございます。そしてまた、このどさくさにまぎれて、二名の脱藩者がでたためでもございました。
 佐渡さまは、目時隆之進のときと同様……、
「追うな、捨ておけ」
 と、顔をゆがめただけでございました。北田貞治、島忠之らもまた、おそらく長州藩に陥ちたのでありましょう。
 塩竈港に向かう陸前丸(商船)が大阪の桟橋をはなれて、二日ほど経って…。
 遠州灘(渥美半島沖)にさしかかったころです、しだいに南からの風が強くなり波も荒く、雲行きがあやしくなってきました。
「これは、暴風(颱風)になるかもしれないぞ」
「困ったなぁ」
 佐渡さまはといえば、周囲(まわり)がどんなに騒いでも、目をつむり一言も発せず、深いもの思いにふけっておるのでございました。
 はたして、死の抗議をした中島源蔵のことを思っていたのでございます。
 あの夜……。
「佐渡どの、中島が事件(たいへん)でござんす」
 佐渡さまが、四戸次郎の知らせでかけつけて横たわる中島の手をとるや……、中島は、
「寄るな」
 と、叫んで体を起こし、手をふりほどいて左足で佐渡さまを蹴ろうとしたのであります。けれども思いなおしてか……、
「これは藩老にたいして、非礼であった。佐渡どの、お願いです。いま一度、考えなおされて、皇国に忠誠を……」
「そなたの言うことはわかった」
「きいてくれますか、もし、きいてくれない、ならば、わたしは、死んでも、死にきれない……」
 中島の、とぎれとぎれの言でありました。
「わかった、王事につくす気持ちはきみと同じだ。中島くん……」
 中島は無言でうなずき、そのまま呼吸(こと)きれたのでありました。
「中島くんは、立派な武士であった。たとえ、わたしと意見を異にしたとはいえ、国(藩)を思う心は決してわたしに劣るものではない。きみは、わたしの永遠の友である。このうえは、どうか安らかに眠ってくれたまえ」
 佐渡さまは、中島の死を悼み法要を営んで手厚く葬ったのでございます。
「中島くん、たとえ奥羽同盟に加わろうが、そなたの死をむだにはしない」
 いよいよに激しさを増してくる浪と風に、船は木の葉のように翻弄されます。
 まさしく暴風……、暴風というは颱風(熱帯低気圧)であります。甲板はおろか船底にしがみついているのさえやっとの状態にみな色を失いました。
 さながら奥羽の運命を暗示するかのような様相でした。
 だが、佐渡さまはどこまでも凛とされての瞑想(めいそう)でございました。
「たいへんだ」
「助けてくれ」
 つい甲板に出ようとして転落する者もおります。騒然とする船底…。
「なんたる醜態か!。そんなことで誇る南部の武士と言えるか、ここは陸地を遠く離れた海の上、騒いだとて如何(なんじょ)になろう。武士たるもの、いついかなるときでも死を覚悟しなければならない。甲板に逃げるは脱藩にひとしい」
 佐渡さまの突然の大音声……
 みな我にかえり、取り乱したふるまいを恥じてしずまりました。
「死んでいった中島に笑止(しょうし)くないか」
 やがて暴風も鎮まり、もとのおだやかな海となりました。
 一行が、塩竈港に上陸されたのは七月十日……。
 大部分の随行者はそのまま国元へ直行させましたが、みずからは佐々木直作ら十名ほどの随員を伴って、その日のうちに仙台城下にはいりました。
 いったん針久という旅館に宿をとるや、町奉行所を通じて数日間だけの城下滞留の許可を願いでたのでございます。
 翌朝には、仙台藩家老但木土佐邸から、
「城下滞留とのこと、京都ご視察の状況を伺いたい」
 と、駕籠をもっての使者がありました。
 佐渡さまは、佐々木直作ひとりを伴ってさっそく土佐邸を尋ね、京都で耳目されたことの概要(あらまし)を伝達されました。
 とくにも薩長兵の目にあまる乱行ぶりについては、その一部始終を語られましたが、かの岩倉具視との会談には一言もふれなかったのでございます。
「京の人々はみな怯(おび)えきっております。とても、声をあげて勤王ご一新を口にできる輩とは思われません。あれでは武士道も知らないただのサムライ集団……。奥羽武将とは雲泥の差でござんす」
 つねならば口達者の但木土佐ですが、この日は顔色もすぐれず佐渡さまの話をだまって聞いているいるだけなのです。
 はたして、仙台藩は混乱の絶頂にあったのです。
「過日、血気にはやるわが藩士が九条総督の参謀を斬ってしまったのでござる」
「あの世良修蔵をすか」
「あぁ、そんなこともあって、いまわが藩は是非もなくはっきり反朝廷の立場、おまけに、そのことがからんで秋田藩とぎくしゃくが勃発(おこ)り、ついに国交は断絶、同盟を離脱した秋田とは、いままさに開戦の瀬戸際でござる。
 貴殿がお留守の盛岡藩にも、さいさい秋田討伐の協力要請を出してはいるものの、いまだに動いてくれそうな気配もないのです」
「秋田が……、そうでござんすか」
 戦局は佐渡さまが推測したよりも、はるかに急転していたのです。
「頼みの綱は楢山どの……。もし、貴藩盛岡の向背(良否)によっては、藩は四面に敵をむかえることにもなりかねない。かくなっては、六十二万石伊達藩の存亡いよいよ危機となり申す。楢山どの、このとおりでござる」
 佐渡さまに対して但木土佐、丁重に頭をたれての懇願でございました。
 佐沼領七万五千石の館主です、つねならば、たかだか三千五百石の佐渡さまが同席するさえかなわぬ身分なのですが、このときばかりはようすが違いました。
「わたしは、こたびの勤王ご一新に反対ではながんす」
「えっ……」
「しかし但木どの、ご思案(あんじ)めさるな。それにはまず、あくまでもこの平和な奥羽に攻めくる薩長の奸を撃たねばならぬのでござんす。
 薩長を撃つことこそが、真の勤王ご一新への道とは思いませんか。奥羽みな力あわせてこれを撃破しようじゃながんすか。
 この戦ぁ、西南ザムライと東北武士との戦いでがんす」
「ごもっとも」
 胸をなでおろして驚喜の但木土佐は、さっそく速馬をとばして城下に滞在する会津、庄内、二本松、相馬、新発田など、諸藩の代表者をも招いて酒宴を開くもてなしようです。
 酒宴とはいえ、あらためて仙台藩を中心として結成される新列藩同盟といった形のものとなってきました。危急のこととて、さらにそのまま軍議ともなります。
「まずは、ここ仙台藩を奥羽越同盟軍の本営と定める。
 庄内、新発田、会津、それに二本松と相馬の各藩は結束して、攻めてくる薩長軍を迎え撃つ。
 仙台と盛岡は、同盟を離脱した秋田を攻める。
 また、秋田と攻守同盟協定を結ぶ津軽も離脱とあらばこれを討つ。
 まず、仙台軍は和賀川沿いと須川岳を越えて秋田に侵入、ただちに秋田城に迫る。
 南部軍は、鹿角口から米代川沿いに西にむかい能代を陥(お)として、津軽との連絡を断ち切って秋田を孤立させる。
 さらには、雫石口から秋田領に侵入する南部軍は、横手平野に進出して秋田城を攻める仙台軍と合流する」
「なるほど」
 広げた大絵図面を前にして、じつに雄大な作戦です。
 ほとんど佐渡さまと佐々木直作ふたりだけの手による戦略でございました。
「いかがでござんす、かくなるうえはたとえ戦局は如何(なんじょ)にかたむこうとも、この美しい奥羽の地を守るため最後まで戦いぬこうじゃながんすか。
 われら奥羽の同盟は一蓮托生でござんす。
 わたしはただちに帰国(盛岡)し、衆議を結集して実行にうつしあんす。
 おのおの方もくれぐれもこの戦略に違うことなきようお願い申しあんす」
 佐渡さまは、一座を見渡してはっきりおっしゃいました。
「ごもっとも」
 但木土佐は、すっかり元気をとりもどしましたがよけいな口をはさみません……。
 とにかく、仙台藩の喜びはたとえようもありませんでした。接待ぶりをみれば明白(あきらか)です。連日、針久旅館に命じて三食とも二汁五菜の二の膳つきでありました。
 すべての随員に対して、土産品として届けられるのは反物、酒類、海産物、銘菓などなど、たちまち針久旅館の店頭に山をなすありさまでございました。
 火急のときですから佐渡さま、仙台には三日だけの滞在でした。
 いよいよ出発にあたっては、但木土佐が直々のはからいで、一行に対して軍船を提供してくれて塩竈から石巻まで送らせました。さらにここからも仙台藩の御用船に乗りかえて、北上川をさかのぼり黒沢尻の船着き場まで送り届けるという、じつにいたれりつくせりでありました。
「楢山どの、必勝を信じておたがいに善戦しましょう」
 但木土佐が、別れぎわに佐渡さまの手を固く握ってのあいさつです。
 どうしてだれが予測できたでありましょうか、いち早い仙台藩の帰順(降伏)を……、それほど血を見ることもなくです。
 
(二)佐渡帰国
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