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北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
七、朝廷の胸裏
 
(三)反薩長の宣言
  佐渡さまと岩倉との会談は事実でございました。
 佐渡さま上洛の目的は一(いつ)にそれだったのですから疑うべきもありません。にもかかわらず敗者側の捏造(ねつぞう)だろうなどと憶測をよんだりします。
 佐渡さまは、岩倉との口止めの約束を守ったのです。談話の内容はおろか会われたという事実さえも口外することなく、長くもないご生涯を果てたのでございます。
 それならば、勝って官軍の戦勝史『防長回天史』にあるような記述(岩倉会談)の根拠はどこにあるのでしょうか。すべて、岩倉の詭弁にあるのです。
 のちに(戦後)、岩倉は長州藩の志士であった木戸孝允(たかよし)に、佐渡さまとの密会の事実を明かしております。
「楢山佐渡という男は、冗談も解せないほどの堅物(かたぶつ)じゃったが」
 まあ堅物のことはともかくに、あれほどに教唆(きょうさ)し煽っておきながら冗談だったというのですか。
「佐渡どのにゃ、わたし(木戸)も幾度か酒席で会っているが、なかなかの酒好きでのお、なんぼ飲んでも沈酔せず、膝ぁくずさなかったがのお。なかなかの人物であったとは思うが、いかにも武士然としてくだけたところがなかった」
「薩長同盟に対しては、満身異常なほどに憎悪がみなぎっておったが……」
「そりゃそうじゃったろう、かたき(敵)同士ですから……。それにしても、おたがいにもう少し胸襟をひらいておればのお、いかにも折り目ただしい武将だった、いまは惜しい人物を失ったとさえ思うがやあ」
「その折り目のただしさよ、古い秩序を破ろうとするものの反撥をかったのは」
 佐渡さまが岩倉の饒舌(おしゃべり)を解せないというならば、岩倉は佐渡さまの武士としての真が解せない……。
 さて、先をいそぎましょう。
 佐渡さま、岩倉邸から岡崎屋敷に戻られるや一行の全藩兵を前にして、いまはたしかなものとなった反薩長の思想を説かれたのです。
「錦旗をふりかざして口では王政復古のご一新を唱えようとも、朝廷をないがしろにし世の風紀をよごし、はたまた古来の武士道を恥辱(ちじょく)して政権を私しようとする薩長の輩ごときが、真の尊王の士といえようか」
「おおう!」
 薩長藩兵の非道をいやというほど見ている多くの藩士たちは、佐渡さまの心境を諒としの歓声です。
 だが、用人の目時隆之進や目付の中島源蔵ら幾人かの反対者もおったのです。
 もともとかれらは、上洛にあたって元老弥六郎(遠野)から密命を受けています。
「上洛のみぎり、いかなる事態があろうとも佐幕派へ偏向なきように」
 佐渡さまの動向監視の任務でありました。
 目時隆之進は、若くして陽明学を学び、いまも熊沢蕃山の著書『集義和書』などを座右に日夜愛読している男であります。
 「陽明学」というのは儒学の一派です。当時幕府が官学としておった「朱子学」に対立する陽明学は、異端の学問として圧迫されておったようです。幕末の志士の中には関心をもたれていたようで、儒者としては中江藤樹・熊沢蕃山らがおりました。
 つまり、目時は若い時から勤王思想に燃えておったのであります。
 ここに来てからも、書物を小脇にかかえて、ひそかに長州藩邸に出入りしているようすです。佐渡さまは、すでに承知され内心不快ではありましたが、あえてそれを責めようとはしませんでした。
 中島源蔵にしても同様です。楠木正成・正行父子(南朝の士)の忠勇義烈に傾注して『一度口唇ヲ開クヤ談論風発、意気浩然トシテ虹ノ如ク、滔々トシテ千言ニ及ブ』というありさまです。
「楢山どの、なにとぞ思い止どまってください。いかに非道の薩長兵とはいえ、手には錦の御旗を握ってござんす、刃向かうは逆賊です」
「朝廷に抗しているのではない、武士としてサムライ(侍)に抗しているのだ」
「古い武士の時代は消え去るのです。藩老どの……」
「滅んでいく幕府への未練ではない、咲いた花にも散りかたがあろう、消え去ろうとする者の意地、つまり武士(もののふ)の道を貫きとおしてこそが真(まこと)の勤王と言えるのだ」
 目時も中島も、おりにふれて佐渡さまの翻意を説くのです。
 長時間にわたり議論をたたかわせることもありました。時には床にひれ伏して懇願するのですが、佐渡さまの口からひとたび噴いた反薩長の意志は、ふたたび翻ることはなかったのでございます。
 おりしも、国表から野田廉平が藩主利剛さまの使者として上洛してきました。
 ただちに帰藩せよという通達であります。
 その夜、ふたりは余人を入れずに一晩中かたりあっておられました。佐渡さまが国表を発ってからの奥羽の戦況を詳しく聴取されたのでございます。
 いつしか東の空は白んでおりました。
「同盟成立です、奥州と羽州はあらかたの二十五藩、それに同情する越後六藩を加えて堂々の三十一藩でがんす。わが盛岡藩も仙台で行われた調印式には、かねてより仙台派遣の野々村真澄どのを参列させておりあんす。奥羽越列藩攻守同盟と申しあんすそうで。それはそれは、たいへんな威勢だったそうでござんす」
「そうかそうか、ついにやったか。して、幽閉の東次郎は如何にしている、なにか動いてはいないか」
 東は、反同盟論者です。
「それが、動いてるんでがんす、東邸にはとにかく毎日のように人の出入りがあるもようで……」
「やはりそうであったか……、しかしそれは許せぬ、彼奴(あいつ)は同盟を敵として反乱も辞さないような男だ。いまは如何(なんじょ)しても奥羽の同盟は守らねばならぬ」
 さっそく藩邸では、野田の報告にもとづいて三戸式部、佐々木直作らをまじえて会議が開かれました。
「国表(くにおもて)では、すでに六十二万石伊達さまを筆頭に奥羽越の三十一藩が結束、奥羽越同盟は調印されたそうだ」
「中立だったはずの、わが盛岡藩も加わったのでござんすか」
「もちろんわが藩も加盟した。いまはその是非を論ずるときではない、藩主南部利剛公が決済をもっての加盟、しかもこの同盟の精神こそが真の勤皇に立脚するもの、藩をあげて薩長の私兵と戦うべきときがきたのだ」
 それを知って驚いたのは、かの目時隆之進や中島源蔵……。
「佐渡どの、たとえとかくの議論がありましょうとも奥羽同盟をもって勤王とするは重大なあやまりでぇながんすか」
「そうでがんす、大義名分は錦旗を擁する薩長側にあるのは明白、これに抗するは藩(くに)を滅ぼすのもといでござんす」
 ふたりとも、佐渡さまの意志にそむいて一歩も譲ろうとはしません。
「両くんがあくまでもこの決定に従えないというならば、わたしは職権をもって処断するほかはない……。頼む、さっそく明日は一緒に発とう、同士が待っている盛岡(くに)へ」
 いつも多くは語らない佐渡さまが、蹶然(けつぜん)として部屋を去ったのでございます。
「俺ぁは帰らなぇ、絶対に帰らなぇ。中島くん、これでは何のための上洛だったのか……。如何(なんじょ)しておめおめと盛岡(もりょが)へ帰られよう」
 すでに翌朝、岡崎屋敷から目時隆之進の姿が消えておりました。
 同志中島源蔵にも無断で、一行に加わっていた息子の貞次郎を引き連れて長州藩邸に投じたのです。
「盛岡藩士目時隆之進、ついに藩邸を脱けてきあんした。盛岡藩は、いま上洛中の筆頭家老楢山佐渡ら一部重臣らによって、あるいは藩論が惑わされることになるかもしれませんが、藩主は朝廷に対していささかの異心を抱くものではながんす」
「貴殿の上申もかなわぬか、めくれない男よのお、楢山というは」
「てまえ脱藩したからには、いまさら帰国もできながんす。これなる愚息貞次郎ともども貴藩(長州)へのお召しかかえを御願いあげたく……」
「奥羽に刃(やいば)を向けられるか、それでこそ勤王の士よのお」
 目時の出奔にきづいて、藩邸内は騒然となりました。
「奴のことだ、いきさきは知れている。長州藩邸に行ってつれもどそう」
「かまうな、捨ておけ。それよりすぐに国へ発とう」
 六月四日……。
 佐渡さまは、三戸式部が率いる本隊は京都に残したものの、佐々木直作や中島源蔵ら数十名ほどの随員を伴って大坂に向かいました。
 すでに大坂瓦町の盛岡藩仮屋敷をとおして、海路で仙台へ向かう手配をとらせておきましたが、四、五日待たなければ船便がないということです。
 やむなく数日ここに滞在することになったのです。
 同志の目時隆之進が脱藩しひとり残された中島は、ここでも佐渡さまに対して執拗に反同盟論を説きつづけますがむだでありました。
 佐渡さまは、いつまでたっても黙しておられます。
「主藩の存亡はこの一瞬にかかるが、いまはわたしの力もつきた。このうえ生きながらえてどうして藩の敗北をみられあんすべ」
 同僚にもらしたそうです。
 いよいよ明日は出帆するという六月八日の夜半のこと……。
 隣室からの異様ななうめき声に目をさました藩士四戸次郎、襖を開けて入ると……、 中島源蔵が、みずからの腹をかき切って倒れておりました。
 かたわらの行灯に「奸臣殺忠臣」の朱い五文字が……。
 流れる落ちるみずからの血で書いたのでありましょう。
「中島くん」
 四戸がかけ寄ると、中島はいきなり臓腑(はらわた)をつかみだして壁に投げつけ…、
「佐渡を呼べ」
 と、なおも臓腑をつかみだそうとするので、四戸はそれを制して白布を中島の腹に巻いてやりました。
「黒白を決したい、佐渡を起こして連れてこい」
 中島はすでに死色満面であります。
 中島源蔵の死もまた武士の道なのでありましょうか。
 佐渡さまにとっては、生涯忘れられないできごととなったのでございました。
 
八、衆議一決(一)仙台滞在
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