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北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
七、朝廷の胸裏
 
(二)岩倉会談
  相国寺で異様な光景を見た数日後のことであります。
 佐渡さまのお姿が、ひとり岩倉邸(京都岩倉村の私邸)の客間にございました。
 もともと佐渡さまが、密かに面会を申し入れておいたものでございます。
「くれぐれも内密に、私邸の方へ単身で来駕あれ」
 佐渡さまあて、岩倉からの直々の密書でありました。
 かつては攘夷論者であったこのお方、常に時局の動向を注視しながら、やがて公武合体論を説いたりして洛中住居禁止令を受け、しばらく岩倉村に蟄居されておったあの右府岩倉具視卿であります。
 岩倉は蟄居間に『全国合同策』を草して、天皇に密奏してもおります。
 これは、政局混乱の責任は天皇にあることを天下に布告し、全国合同を達成しようとするものでしたが、孝明天皇の死によって挫折してしまいました。
 昨年(慶応三年)、天皇の百日忌の大赦で入洛禁止も解かれたが、いまなお全国合同の目的のために、反幕府の水戸・土佐・薩摩藩とはいわず、佐幕派の会津藩や一橋家などにも同志を求めつづけているともうかがいます。
 佐渡さまは、ここ(客間)で岩倉の入室を待ちながら、かれこれ小半時も経ちますが終始端然と黙してございます。
 いま、目をつむられている佐渡さまの脳裏をよぎるのはなんでありましょう。
 いいえ、単に家族のことではございません。
 盛岡にあって、存亡の岐路に立つ藩主利剛さまや家臣たちのことにございました。
 あいつぐ不作に苦しむ領民たちの姿にございました。
 そして、勅令を待ちながら待機する会津出兵大隊長の八戸弥六郎済賢(遠野)のことにございました。とくにも、こたびの上洛出立のおりの「佐幕派への転向なきように……」の弥六郎のひとことでありました。
「朝廷のご意志と天下の情勢をこの耳目(からだ)で確かめたいのです」
「佐渡くん、とっくに大政は奉還されている。王政復古の勅令も下されている、天下の情勢もなにも、いまさら……」
「もとより尊王は道理です、この佐渡は、いささかも朝廷に反抗する意志はありません。けれども徳川二百数十年の報恩もまた武士の道理、近隣列藩の動向(うごき)も決して無視できながんす」
「わしとて、たんなる倒幕派ではねぇ。すでに藩の衆議は公武合体論であろうが」
「その藩論の道理を貫きとおすためにも、わたしが京都に赴いて、東西諸藩の情勢を探る必要があるのでがんす。おいそれとこの広大な奥羽は戦場にはされながんす」
「しかしだ佐渡くん、たとえ京都でどんたなことがあろうが…なかろうがだ、朝廷に刃を向ける道だけは選ぶべきではねぇ。そもそも、わが始祖は勤王五世……」
 いくたびとなく聞かされる「勤王五世」……。しかし、弥六郎(佐渡さまには義兄)の尊王論は情勢の如何にかかわるものではないのです。しぶしぶに公武合体論に同意はしているが、たとえ負け戦であろうとも貫こうとする純粋論なのです。
「分かってるす、分かってるからこそに、御親兵となって上洛するのです」
 さて岩倉、やっと客間に現れて佐渡さまの前に対座しました。
「久しぶりの京(みやこ)はいかがかな、遠慮なく申してみなされ」
「ならば申しあげますが、このたびの上洛でまず感じますことと申せば、薩長兵士の評判の悪さでございます」
 実直な佐渡さまは、歯に衣は着せません。
「ほほう、薩長が憎いのか? 奥羽はみな佐幕派であるか?……」
「いや、奥羽列藩みな朝廷に対して逆らう意志などいささかもございません」
「ほっほほ、しからば評判の悪さとは?……」
「それはただ、薩長藩兵の市中(しちゅう)での行状を申しただけ、遅参とは申せども、わたくし今般(こたび)の上洛は、ひとえに朝廷よりの勅令によって馳せ参じたものでございます」
「朝廷の勅令?……、それよ楢山どの。勅令という勅令は、われら内府のあずかり知らぬもの。天朝はいまだご幼冲(ようちゅう)なれば、その実はすべて新政府の名のもとに薩長がとりしきっているのじゃよ、首脳部は、おおかた主君をもたない浪士の集団……」
 岩倉は「浪士の集団」と意をこめて、佐渡さまのお顔を伺います。
「ところで、楢山どのがご用のすじと申すのは……」
「まさに、そのことにございます。薩長同盟が支配するという新政府について、かつて公武合体論をお説きになられたご内府のご意志をお伺いいたしたく……」
「楢山どの、公武合体論をごぞんじかな」
「おそれながらわが盛岡、それを藩論としてかかげてございます。して、国土を戦乱に巻き込むことなく公武合体の結実は可能なのでございましょうか」
「新政府しだいじゃがな、下士侍どもの藩閥政府では私情が強すぎるかのう……」
「藩閥政府……? かりに今後も長く薩長を主軸とする政府が続いていくとすれば、奥羽の諸藩はどうなるんでがんすか。会津藩を救えないんでござんすか」
「ほっほ、薩長同盟政府では将来に禍根(かこん)を残すといわれるか」
「いいえ、そこは朝廷のお力で……」
「じゃがのう……」
「朝廷は、薩長同盟による新政府支配を是とされるのでござんすか」
「朝廷は、悲しいかな武力を持たんのじゃよ」
「朝廷の権威におすがりしてもできないのですか」
「彼らは、古来(これまで)の武士道が憎いのじゃよ、古い門閥(もんばつ)と申そうか、つまり徳川幕府じゃがな、これを武力を持って倒し天下を制圧しようとしているのじゃよ」
「そんなことでは第二の幕府でございましょう、おそろしいことにございます」
「あるいはそれ以上に強大な権力かもしれん、朝廷をもおびやかすほどの……」
「内府どの、そのような政府が誕生してもよいのでござんすか」
「そんなことは申しておらぬ。楢山どのは、真っ直ぐな方でござる」
 これではまるで誘導尋問でございます。
「それでは勅令とは申せ、朝廷も是としない薩長藩閥がだされる命令にしたがって会津討伐に荷担されよといわれるのでござんすか」
「麿とて、ほんに頭痛の種じゃがよう、ここ脳天まで痛いがのう……。ところで楢山どの、そこもとの国では公武合体を藩論としたと申したな」
「いかにも左様にございます」
「言うはやすい、じゃが、どちらにも組しない公武合体論などという中庸(ちゅうよう)の精神は、長く全土に通用すると思われるかな……、公武合体論というのは、いわばどちらをも立てようとする考えじゃろ。貴藩に具体策はおありかな」
「……」
「いかがかな、楢山どの」
「かつて公武合体論を説かれた内府どのが、そこまでおっしゃるのならば申しあげます。実はわたしが密かに危惧(きぐ)しておりますのもそのことでございます」
「危惧? 申してみよ」
「苦肉の策として、ひとまず藩論に定めましたるものの、つねに中立は左右両派からきらわれます。いささかも朝廷に抗する意はありませんが、いつまでも二足の草鞋(わらじ)は履けません。わが藩とて、遠からず択一の岐路に立つときがやってまいりましょう。いわば公武合体論というは、長く続くことのない幻の論理なのではなかろうかと……」
「ほほう、それで免れない戦となり、されば勝利した方が政権をとるのじゃな」
「どうしてもその戦、忌避(きひ)できないのでございましょうか?」
「かりに血をみることなく、公武合体論を現実のものとさせるがためにはじゃ、またそれなりの力がなければのう」
「力とは?」
「勤王とも佐幕とも、いずれにも匹敵するほどの、いやそれ以上の理(ことわり)と巨大な武力じゃ」
「そのようなお力、どこにございましょう」
「たとえばじゃ、奥羽にはどうじゃな」
「……」
「いや、寓喩(たとえ)じゃよ。まこと結束して戦える強力な列藩がどこかにあればじゃ……。これまで日和見的態度の諸藩はどうする?……。とくに徳川御三家の尾張はどうじゃ……。あるいは、紀州も呼応してくれるじゃろうかのう……」
「……」
「楢山どの、直答(こたえ)は不要じゃ……。できもしないただの寓喩じゃ」
 岩倉は、あきらかに薩長を迎え撃てと扇動しているようなもの……。
 佐渡さま、岩倉の煽(あお)りと知りつつ、
「それだけの力は、わが奥羽にしかないのかも知れない。いや、奥羽にはある」
 と、いま六十二万石仙台藩を主軸に結ぼうとしている会津救援のための列藩同盟のことを思ったのでございます。
「ならばご内府どの、いま官軍の名をかたり錦旗かざすあの集団の壊滅を……。怒濤のごとく奥羽に押し寄せる薩長軍に、立ち向かえとおっしゃるのでござんすか?……」
「いやいや、あくまで麿の独り言じゃに、麿はなにもそこまで言わなかったぞ。
 楢山どの、きょうの会談のことは向後(こうご)一切にこれじゃ」
 岩倉は、閉じた口唇に指をあてて他言を制したのです。
 佐渡さまも、これを了知してうなずかれました。
 ここまで扇動すれば、岩倉もさぞや満足だったでありましょう。
 それにしても、いかにも奸物として名高い岩倉らしいじゃありませんか。
 もしかしたらこの男、佐幕といわず勤皇といわず、だれかれなしに煽りまくっているのかも知れません。だからといって、西南雄藩・奥羽列藩どちらに勝利が転がっても、岩倉の名は上がりこそすれ不利になることは決してないでありましょう。
 老獪な岩倉のことですから後のことを考えて、言質をとられまいとしながら語ることですが、佐渡さま、その節々(ふしぶし)に朝廷の本意を見たのでございます。
「朝廷は、必ずしも薩長による政府を是としてはいるのではないのだ。むしろそのことで将来に禍根を残すことを憂いている、奥羽列藩同盟への期待が大きい」
 佐渡さまは、朝廷の胸裏を確かめた思いでございました。
 薩長軍兵の悪評も耳にしましたし、武士の風上にもおけぬ汚れきった姿もみずからの眼(まなこ)の奥に焼き付けもしました。
「薩長は真の勤皇派ではない」
 佐渡さまは上洛の首尾を思いながら、ひとり岩倉邸を後にしたのでございます。
「国元の弥六郎などは激怒(ごしゃぐ)であろう。しかし、真の勤皇となるはこの道しかない」
 後のことでございます。当然のことですが、この時の岩倉との会談が南部(盛岡)藩を運命づけたとする推測であります。
 歴史はつねに戦勝者側から書かれると申しますが、ここに『防長回天史』(長州・末松謙澄)なる歴史書があります。その中の「奥羽鎮撫使と南部口の秋田戦争並に南部藩の降伏」記述に……。
 案ズルニ楢山佐渡ノ京都ニ在ルヤ岩倉卿ハ薩長ノ専横ヲ憂イ、之ヲ抑制スルニハ奥羽同盟ノ力ヲ以テスルトモ反テ時宜ニ適セリトナシ其ノ意ヲ佐渡ニモラス。佐渡ハ此ノ趣旨ヲ以テ藩論ヲ決シタリト。然レドモ当時岩倉卿ハ廟堂ニ於テ最モ奥羽ノ形勢ヲ憂イタル一人ニシテ、奥羽官軍ノ応援ノ為ニハ特ニ尽力シ陣頭ニ立タントスルニ至レルコト既記ノ如シ。佐渡ノ如キ万々其ノ事アルベキ理ナシ。佐渡ハ全ク一時ノ詭弁ヲ弄シタルコト明ラカナリ。シカモ、東北人間ニハ爾後、往々ニシテ此ノ詭弁ヲ信ゼザル者ナキニ非ザルハ解スベカラズ。
「官軍応援に尽力した岩倉が、奥羽の一家老ごときに薩長専横の憂いをもらすはずはない。すべて佐渡の詭弁だが、東北人のなかには信じる者もいるので解し難い」
 と、岩倉会談の事実を否定しております。
 なにをかいわんや、どう読んでも事実を無理に否定され、これこそが理だと自分に言い聞かせている、たんなる勝利者の詭弁にすぎないではございませんか。
 
(三)反薩長の宣言
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