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北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
七、朝廷の胸裏
 
(一)薩長の悪評
  佐渡さまが京都(みやこ)へ発たれたのは、慶応四年三月八日でございました。
 二百余名の兵を引き連れ、城下川原町の船場から乗船して北上川を南下、黒沢尻で仙台船に乗りかえてさらに下り仙台領飯迫(いいはさま)に上陸されております。
「東海道はやめたほうが良(え)ぇがんす。錦の御旗かざした兵士(へえたぇ)と佐幕派の残兵があちこちで衝突(ぶつかっ)てるそうでがんす」
「巻き込まれては駄目(わがねぇ)べぇ」
「したら中山道だ」
「中山道だたて東海道と同じようなもんだべぇ、避けたほう良(え)ぇ」
 不測の災いをこうむらないという保証はありません。
 古川を経て雪深い北陸街道に道をとったのでございます。
「一行が、道を北陸街道にとったことが最大の失敗である。さもなくば、官軍に抗する愚に至らなかったであろう」
 後日に、このように評した者がおります。
 官軍に抗することが愚かかどうかは別としまして、北陸街道に道をとったがために官軍に反抗する結果を招いたというのでしょうが、果たしてそうでしょうか。
 たしかに、当時の北陸地方には幕府に対する同情者が少なくなかったのです。
「なんじゃい 芋侍(いもざむらい・薩長兵)のやり口ぁ、とても人様のするこっちゃねぇわい」
「王政復古のご一新などと言(そ)っちょるが、そんたことがあるもんかえや、薩摩や長州の徒輩(やから)が幼冲(おさな)ぇ天子様を擁して天下ばとる気なんじゃろ」
「ほだら、薩長連合でいまに新しい幕府ばつくるのかえ」
「前将軍(さきさま)がかわいそうじゃがなぁ」
 庄内藩や新発田藩などは会津藩と合体して、すでに薩長軍と戦うことを公然と宣言して戦備に取りかかっているという噂があります。
 事実、街道を下る佐幕派の浪士たちに幾たびか行き交ったりもしました。
「会津救援のために行く」
 一行が道々に得るものは、薩長軍の醜聞と幕府軍の優勢情報ばかりです。
 幕府の歩兵奉行であった大島圭介が、歩兵隊の残党を率いて各所で転戦して、官軍を破りながら会津に進軍をつづけているという……。
 幕府の海軍奉行だった榎本武揚(えのもとたけあき)が、甲鉄艦の甲揚・回天の二艦を主軸とする艦隊を連ねて箱館(現在の函館)に脱走して五陵閣に立てこもっているが、機を見て海上に進出して会津征伐軍の背後をおびやかすだろう……。
 奥羽の諸藩もいまは王政ご一新の声に押されて、薩長の前に頭(こうべ)を下げているが、いずれそのうちに寝返り打って立ちあがるだろう……。
 たしかに、佐渡さま一行が東海道か中山道をとったとしますと、ひらひらと錦旗をふりまわし、みずから官軍と称する薩長軍の威勢を見るだけで、北陸道で得たような情報は耳にしなかったかも知れません。
「官軍ったら薩長軍で、抗(はむか)う佐幕軍が賊軍すか」
「そんたなことぁねぇ、実際に戦してみでぇ勝ったほうが官軍だべ」
「錦旗の、奪取(べあっと)りすか」
「負けたほうが賊軍だば、どっちだって負けてられねぇもんな」
 あきらかに「勝てば官軍」、藩兵たちの言うとおりです。
 いまやこの戦は、単に旧幕府軍と新政府を名乗る薩長軍との錦旗の奪い取りではありません。奥羽列藩と西南雄藩との日本全土を真っ二つにするような政権争いとなりかねない様相なのでございます。
 寄らば大樹と申します、有利なほうについて「おもいめでたき官軍」となるか、負けて「官軍に抗する愚」となるかどこの藩でも情勢判断に必死でありましょう。
 しかし、いま北陸街道を進まれる佐渡さまは、どんな佐幕派の優勢情報にも、薩長軍劣勢の噂にも微動だにせず終始無言でございました。
 国表盛岡は、すでに藩論を公武合体と決して、いまさら動じることはないからでしょうか。
 ともかく、佐渡さまの一隊はほぼ予定どおり京に到着されました。
 ときおり、奇声をあげながら都大路を闊歩する西国藩兵たちに出会います。
 肩から小銃をぶら下げておるので、かれらも御親兵なのでしょう。整然と行進する南部藩兵の隊列とは対照的であります。
 佐渡さま一行は、かねてから皇居ご門警備に当たっている三戸式部が出迎えているという南部藩出入りの御用商人小西屋に立ち寄りました。
「お久しぶりでがんす、長道中ご苦労さんにござんした」
「式部どの、祝着(しゅうちゃく)じゃ」
「おいでやす、熱いお茶はほんまにお疲れがとれやすどえ」
「さすが京都(みやこ)のお茶っこは、格別にうんまい」
「まあ、お茶っこ? うれしゅうおますこと」
 佐渡さまの「お茶っこ」とは、つい気がゆるんでの盛岡弁でございます。
「式部どの、朝廷や諸藩の動きに変わりはないか」
「いまのところ、天下の大勢に関わる動きはながんすが、江戸での戦は長引きそうだっつう噂でござんす、さしもの官軍も彰義隊にはてこずってるようでがんす。
 なにせ、彰義隊が輪王寺宮さまを擁して上野山さ立てこもったっつうことで、攻めるに攻められながんすべぇ。西郷とかつぅ官軍参謀もつい策が浮かばず、国元から大村益次郎っつう男を呼び寄せて指揮ばあずけたそうでがんす」
「して、西郷は?」
「自分(われぁ)は、京都さもどってきているようでがんす」
「大村益次郎という男はどんな男かな」
「なんでも医者上がりの兵学者なそうでござんすが、無法者で名がとおっている者、どんたな戦ぁするか不明(わがんねぇ)がんす、もし宮様に危険がおよぶようなことにでもなれば、天下はまたまた大動乱となりかねながんす、そしたらいよいよ奥羽さも火の粉が飛んでくるんじゃながんすか?」
「まあ、その男が来たからって、造作(ぞうさ)なくは上野山は抜けねぇだろう。奥羽が戦乱に巻き込まれるとしても、まだまだ先の話じゃろうよ」
 佐渡さまは、なにを聞いても悠々としておられました。
「想像していたことと、ほとんど相違ない」
 ただ、佐渡さまが意外とされたことは、官軍と称する薩長兵の評判が悪いことにございました。
「まるで、源平の昔の木曽義仲の兵と同じでおます」
 京の人たちには、無頼漢や無法浪人の集団にしか見えないというのです。
 いや、粗暴、野蛮、乱暴のかぎりをつくすありさまはそれ以上でありました。食べ物屋、酒屋に入り込んでのただ食い、ただ飲みなどは日常茶飯事であります。
 織田信長が京都に入ったときなどは「一銭斬り」と称して、たとえただの一銭でも盗んだ部下を斬罪に処したという伝説がございます。とても王政ご一新などを口にするような輩(やから)とも思われません。
「盛岡では、とても考えられねえことでがんすが、夜間(よんま)ともなれば強盗同様に商家に押し入り金品を略奪し、真っ昼間でも女のひとり歩きは禁物でがんす」
「ほら、向かいに妓楼がおますやろ。つい先達(せんだっ)てなぁ……」
 小西屋の女将が申すには、御親兵と称する薩摩兵が数名「芸妓(おんな)を抱かせろ」とやってきて、みせの亭主が「どなたさまも前金で……」と申すやいなや、「天誅(てんちゅう)」とばかりに首を討たれたという話でもありました。
「……」
 これを聞いても、佐渡さまは、眉をひそめはしたものの口を真一文字にしめきったままでございました。
 小西屋で小憩されると、岡崎屋敷(南部藩邸)に向けて再び歩きだしました。
 西に傾いた赤い陽をあびながら、都大路を一糸乱れず行進する盛岡藩兵の隊列に、道行く人々が立ち止まってみとれたと申します。
 佐渡さまは、岡崎屋敷に到着された翌日、皇居に参上し御親兵到着のあいさつを済まされました。その帰途のことでございます。
「参謀の西郷どのをたずねて相国寺に行ってみよう」
 佐渡さまは、思い立ったようににわかに言いだしたのでございます。
 相国寺(法華宗)とは、はやくから薩摩兵の駐屯所になっておる寺院です。
 中島源蔵と目時隆之進らを供にされて出かけました。供にとは申しても、中島らは佐渡さまに単独行動をさせまいとする配慮から随伴するといったものでございます。
「佐渡どのの上洛は、あくまでも御親兵派遣である。本人はついでに東西諸藩の情勢を自分(われぇ)のまなこで確かめたいと申すのだ。しかし、他藩の事情は如何(なんじょ)であれ、すでに藩論は公武合体と決している。くれぐれも近づく佐幕派の輩(やから)を警戒せよ」
 国表を発つにあたって、中島と目時に対する弥六郎よりの密命でございました。ふたりともたしかな勤王派であります。
 めざす相国寺の境内に入ると、まだ陽が高いというのに、あちこちで焚き火をかこんで藩兵たちが酒盛りをしておるもようです。なかでもひときわ大きな車座の中央あたりに、どっかりと腰をすえているふんどし姿の男が目にとまりましたが、おそらくかれが西郷隆盛でありましょう。
「ウシもシカもよかが、ウマもうまか」
 串刺しにして焼いているのはまぎれもなく四つ足です。
 こうした光景は、昔の陣中では決して珍しいものではないのかもしれません。
 だが、盛岡藩士ならばどうでしょう、寺院の境内で真昼間に酒を呑むことさえ許されることではありません。まして、王政復古のご一新を唱える立て役者が四つ足の肉を食いながらの談論風発です、まるで外道者のやることじゃございませんか。
 いかにも強盗も強姦もやりかねないというありさま……。
「佐渡どのに、よろしくないものを見せてしまったか」
 中島と目時がつい目くばせをしてしまうほどでした。
 しかし、佐渡さまはこのときも微動だにしませんでした。
「西郷と会うのは、のちほどにする」
 ただ、そう言ってきびすを返されたのでございます。
 
(二)岩倉会談
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