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北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
六、菊の間評定
 
(三)衆議不備
  まさに南部家興亡を賭ける大評定に当たり、利剛さまの脳裏にかけ巡るものはなんだったのでございましょうか。
 目をつむるとさまざまなことが去来するのであります。
 利剛さまは、幼年より仏門に帰依され、盛岡報恩寺にて修行中の身でありました。ところが、藩内のたび重なる押寄せ(百姓一揆)に蜂起したお家騒動により、父利済さまは、永久閉居(へいきょ)を命じられました。続いて兄の利義さまも藩主一年余りで謹慎閉居、利剛さまは、にわかに報恩寺より呼び戻され、嘉永二年(一八四九)藩主となられたのであります。
 これで、長年のお家騒動も一応は治まりましたが、この事件に関わる多数の者たちが切腹、追放、入牢、閉門などの罰に処せられるさまを、若い利剛さまは悲しい思いで目にしてきたのであります。
 自分が藩主となってからも、前にも述べましたが、あの一揆史上未曾有とも言われる嘉永六年の「野田一揆」であります。家臣弥六郎の手柄などもあって存亡の危機は辛うじて免れましたものの、その間の利剛さまの苦心は大変なものでありました。
 この辛苦の体験からでしょうか、利剛さまはなにごとにも謙虚で慎重でありました。
 よく家臣の言を受け入れ身を持すること謹厳(きんげん)でありました。臣下の者に、まれに見る名君と言われておる所以(ゆえん)でございましょう。
 これほど長時間にわたる評定は、野田一揆の際にもなかったことでございます。
 これまでの評定と申しますのは、人数もこのたびの三分の一にも満たない二十人足らずであります。藩内や天下の情勢報告が主で、一座はそれを傾聴するだけのものであります。昼過ぎ八つ刻(二時)から一刻足らずでこと足りるものでございました。
「との、そろそろ……」
 中座役の家老南部監物が、藩主利剛さまのご心痛を杞憂(きゆう)されましてか、ご決断を促すかに見えたその時でありました。
 異例のことですが、花巻城代毛馬内伊織が平伏して口を開いたのでございます。
「との……」
 利剛さまが、南部監物に目配せ……。
「花巻どの、いかに……」
「尊王、佐幕のご議論は如何(なんじょ)でも、花巻城をお預かりする手前どもとしては仙台藩を敵にまわすことだけは避けたいと存じあんす」
「なんと、臆病者!」
「小声では、聞こえん!」
 またまたの野次であります。私語が飛び交い騒然となりました。もともと声も低く、弁舌が苦手の毛馬内伊織であります。代弁をさせたいと願い出て、自分の後ろに座している一族の毛馬内三左衛門を指されました。
「毛馬内三左衛門、許す……」
「おそれながら、とのに代わって申しあげんす。
 仮に尊王主義を建前といたしますれば、当然に秋田や津軽と一緒になって、列藩の仙台や会津、その他の諸藩を敵に回して戦うことにあいなり申す……」
「そのとおりだ、それが怖いのか」
 座は、にわかには静まりそうにもないのですが、三左衛門は委細かまわず、しだいに手ぶりさへ交えて続けたのであります。
 かれの声は、隣の間まで凛々とよくひびきました。
「その場合でござんすが、津軽や秋田とは険阻(けんそ)なる山脈が隔てているので、この二藩からの援助の期待は容易ではながんす。
 しかもでがんす、秋田、津軽は、各々方がすでにご承知のことでがんすべども、わが南部藩にとっては先祖以来の、つまり宿敵でござんす。もしかすると援助はおろか、悪くすれば相手にとっては高見の見物にならないとも限らながんす。
 あるいはこの機に乗じて、かねてより紛争の絶えない陸奥北部には津軽藩が、角館・毛馬内には秋田藩と、それぞれに侵攻をはかるかも知れながんすべ。
 そうした場合に我が盛岡藩は、四面楚歌(しめんそか)の状態となるのは必定でがんす。
 果たして勝算が立つんでがんすべが。
 また、よしんば津軽・秋田の侵略がなかったとした場合でも仙台藩相手の戦いは容易なものとは思われながんす。
 仙台藩に鉄砲が何挺あると把握されておられあんすか、伝え聞くところによりますと二万とも三万とも言われてござんす。
 もしも南部方との戦にその半分だけを回したとしてもですよ、一万挺を超す鉄砲でがんすよ。これに対して南部藩の鉄砲はかき集めても敵の半分にも満たない、五千もござるすか、わが花巻城に至ってはたった一千挺にも満たながんす」
 一点の澱みもなく一瀉千里(いっしゃせんり)に言いはなったのであります。
 ここでわずかに間をおきましたが、今度は、野次るどころか私語もなく、咳一つなく静まり返っていたということでございます。
「さて、大砲でがんす。仙台藩はすでに青銅砲数十門を藩北の水沢に運んできていると申しあんすが、これに対してわが花巻城には只一門あるきりでござんす。
 しかり、兵術書によれば『勝敗は兵の数に非ず、武器の数に非ず』でござんした。それも万々承知してのことでござんすが、少なくとも苦戦を免れないという覚悟をせねばならながんす。
 しかもでがんす。仙台の大軍は秋田の横手入りの名目で、すでに和賀川の堤防さ待機してるんでがんすよ。
 もしも盛岡と仙台が手切りとならば、ただちに和賀川を越えて花巻城下に押し寄せることなぞ朝飯前なんでござんす。
 われらはもとより死を覚悟で防戦つかまつりますが、もしもでがんす。敵が優勢にして花巻城が奪取されたときに、各々がた、その後は如何(なじょ)になるのでござんすか。
 もしもこの美しい盛岡城下が軍場(いくさば)となりましたらば……、えんにゃ(否)、そうならないとはかぎらながんす。
 勝敗はともかくその惨状はいかなるものと思しめされるか、おそれながら、この三左衛門には見えるんでござんす」
 三左衛門の頬には、光るものが……。
「もしもわが軍が優勢で、和賀川で敵を撃破したとしても、それはただ敵の進入を食い止めただけの話でがんす。勝ち負けには関係のないことでござんす。なぜなれば仙台までは五十里(約二百キロメートル)、とても攻め切れる距離ではながんす。
 つまり仙台側にとっては少しばかりの傷は、痛くも痒くもないことなんでがんすが、これに反して味方はどうでがんすか、花巻城が破られれば直ちに敵を本拠地盛岡へ迎え入れねばならないんでがんす。
 これほどに割の悪い戦はあり申しあんすか。われらは、なんとしても仙台との戦だけは避けなければならないんでござんす。
 武士に不要なる涙なぞお見せして、お許しぇってくなんせ」
 毛馬内三左衛門、深々と一礼をして、やっと長い弁舌を終えました。
 座が、静となるも動となるも寸時の暇も与えず、たまりかねましたか弥六郎、膝を立てての一喝……。
「黙れ、黙れ!、城代毛馬内伊織、貴殿はそれで尊王か、はたまた佐幕か」
 三左衛門、再び頭をもたげかけました。
「いやいや、そこもとのくどくど話はもう良い、城代伊織に問うている。大きな声で申して見ぃ」
「おそれながら申しあげます。われわれは、奥羽越列藩の同盟側となるも朝廷側となるも、そんなことはどちらにても良ござんす。
 ただ、隣藩仙台との戦だけは避けたという一念でございます」
 花巻城代毛馬内伊織、先刻の声はどこえやら、今度は別人とも思われるほどの大きな声だったと申します。
「しかり」
「臆病者が!」
 後ろからは野次が飛んでまいります。ふたたび、座は騒然となりかかりました。
「黙れ、黙れ!」
 顔面紅潮の弥六郎、まず一座を制し……、
「みなの衆すでに承知のとおり、わが南部家は先祖伝来尊王第一の家柄でござれば、たとえ如何(なんじょ)な理由(わけ)があろうとも、勅命(ちょくめい)に逆らって王師にたて(盾)をつくなどはもってのほか、そのような弓矢は俺ぁが家には、いやわが藩にはあり申さん。
 ましてや、敵の威勢に恐れて説を曲げるとは、わが南部藩の法の許さざるところでもござろう。
 たとえ秋田は、同盟を離脱せる裏切り者とは申せ、今や勅使(ちょくし)たる三卿を擁せるうえは立派な官軍であり申そう。
 彼ら(秋田)は同盟各藩の包囲の中で、それを恐れずにひとり敢然と勤王としての戦を貫こうとしているのでござる。
 むしろ、俺ぁたち南部藩は秋田を助けることこそ勤王の道に適い、しいては武士道にも適うのではござらぬか。
 うん?、確かに伊達は大藩ではあるが、会津へ秋田へと兵を分けねばならない。われらが今、志を一つにして事に当たれば、六十二万石とて何するものぞ、伊達とて恐るるに足らん」
 まるで、一座を叱り付けるような形相だったのであります。
 利剛さまは、なおも微動だになく、裁定を下されるようすなぞまるでありません。
 座は、当然ながらいよいよ騒がしくなってまいりました。
 評議はいつ果てるとも知れません。刻限ももう明けの九つ半(午前一時)も回っております。途中三度の食事休憩は挟んだものの、後一ッ刻で丸々一日になろうとしております。夜食もまたまた同じ握り飯です。
 なん度、蝋燭(ろうそく)をつぎたし行灯(あんどん)の油を補充したことでしょう。
 こうなりましては、帰結はおろか益々私語論争が激しくなるばかりです。
 堪りかねたのは、南部監物……。
「これではいつまで評定を続けても果てのない、お殿さまにはいったんお引き取りいただくとして、各々方の意見は、明日書面に認めて差し出すように申しつける」
 結局は、評議は帰結することもなく八つ刻を合図に利剛さまの退席を促し解散となりました。
「長かった、こんたな評定は初めてだ」
「まいったなぁ、途中でなんども睡魔におそわれ申した」
「小姓なぞは、眠掛(ねむか)けして鼻から提灯だったぞ」
「いやぁ、それにしてもお殿さまのあのご態度には驚(たま)げ申した、小用さ立たれた以外はちょっ刻(とき)も膝を崩さず、終始無言の正座でとおされた」
「しかし、どこまでも無言ダルマともいくまいが」
「数の上では、秋田討伐論が少々(びゃっこ)まさっていたかな」
「数では決まらなぇ、勤王一本槍の遠野どのがおられる」
「毛馬内説は、現実論とはいえ消極的かなぁ」
「最終的には、お殿さまがどう判断されるものか」
 それぞれに、屋敷に帰る道すがらの語り合いでございます。
 それはそれとして、藩主利剛さまが何故にこれまで評議を長引かせるものか、一座の誰にも理解できることではなかったのです。
「理由はいかに、錦旗には逆らえない。官軍として秋田擁護におもむく」
「どうなろうが、列藩の盟約にしたがい最後まで仙台藩と行動を共にする」
 とるべき道は二つに一つであります。
 このたびの評定の雰囲気からしますと、米田、毛馬内説の「秋田討伐論」がやや優勢とは申しても、前述のとおり藩主利剛さまと御三家筆頭の弥六郎済賢による盤石体制であります。
 いまは、たとえ佐渡さまが戻られたとしても、同盟離脱論に帰着するであろうとしか見えなかったのであります。
 それなのに、なぜか藩主利剛さまは裁決を下されなかったのでございます。
 
七、朝廷の胸裏(一)薩長の悪評
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