北の杜編集工房トップページ - 北の杜編集工房会社概要 - 北の杜編集工房北の杜文庫のご案内北の杜文庫別冊・人物ドキュメント文庫北の杜文庫・単行本作品リスト - 北の杜編集工房お問い合せ - 北の杜編集工房
北の杜編集工房 
北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
五、列藩同盟
 
(三)列藩決起
 「長州人世良修蔵、面(おもて)をあげろ」
 世良を河原にすわらせ、姉歯武之進は罪状書を読みあげたのであります。
「汝は、身を奥羽鎮撫総督府下参謀たる要職にありながらに、数々の非道を行い奥羽全土劫火に灼かんとする奸悪の罪状歴然たり……この大罪を認めるか世良修蔵!」
 罪状書は裏を返して世良に向けられました。
 これが処刑の形式です。
「吠えろ、我らは天子の軍隊じゃ、天罰を待つがよい」
「よいか」
 姉歯の家来菊田松治が、大きくふりあげた刀が一瞬流れました。
 世良の首は、一刀でその胴を離れて河原の石の上を転がったのです。
 この事件は、当然に大きな意味をもってまいります。
 天朝の軍隊を標榜する総督府を牛耳っている男を斬ったのです。
 押さえて糺問(きゅうもん)することでさえも僭上(せんじょう)の沙汰です。天朝への反抗は反逆であります。
 これで仙台藩は、みずから朝敵の汚名を着ることとなったのでございました。
 話は前後しますが、世良が白河を出発する二、三日前に、白河で盛岡藩兵による錦旗焼却事件というのがありました。
 仙台藩兵ばかりではありません、庄内戦線における奥羽諸藩の動きが鈍いことに業を煮やした総督府は、白河に盛岡藩沢田斉大隊を呼びよせたのです。沢田隊というのは、何日か前まで鮫島をかかえていた部隊…。
 鮫島とは、錦旗を奉じたままに仙台藩兵に暗殺されたあの鮫島忠左衛門です。
「南部兵なら錦旗ぐらい持たせておきゃぁ、涙して稼ぐかもしれんけぇのお」
「わしは下参謀大山殿が家臣の鮫島金兵衛ちゅうきに、大切にあつこうてたもせ」
「ありがたきしあわせ……」
 沢田隊は再び錦旗を下賜されたのであります。沢田斉は名こそちがえ「鮫島」と聞いて当然に家来であった鮫島忠左衛門を思ったことでしょう。
「鮫島は、勇敢な男であった。あの時も、鮫島は錦旗を奉じていた……」
「どうじゃ、錦旗を拝んでも今はふるえまいが」
 ふるえるどころか、今は錦旗が恨めしくさへ思っておりました。
 あきらかに、鮫島忠左衛門が錦旗を下賜されて感涙した噂を知っての嘲弄であります。「鮫島金兵衛ちゅうきに」と言った時も妙に力がこもっておりました。
 ともかく、沢田隊は錦旗を掲げて威風堂々北へ向います。
「庄内は、その道じゃなか、南部兵は鼻曲がりじゃけんのお」
 ことあるごとに「鼻曲がり」の連発です。
「錦旗が何だ、ただの織物ではないか、愚かなくせに傲慢(ごうまん)な」
 遂に爆発して鮫島に向って一人が抜刀(ばっとう)、何名かの兵士がそれにならった……。
「薩摩のつぼけ!」
 つぼけとはばか者という意味です。
「南部の鼻曲がりどもが、なにごつか!」
 東北の人はぎりぎり耐えますが、しかしそれも限度です。
 鮫島は、爆発した南部兵の乱刀に切りきざまれて果てたのです。
 おまけに誰かが錦旗に火をつけました。こうなればただの布切れ……、錦旗の燃えかすは山風に舞い散ったのでございました。
 その後沢田隊は、すぐさま解兵して帰国いたしました。
 この事件は、世良惨殺の騒ぎにかき消されて対外的には、それほどの波紋を呼ばなかったのですが、盛岡藩の動向には大きな意味をもってくるのでありました。
 藩の首脳部は、ほとほと困惑してしまいました。
 盛岡藩としては、会津救出の嘆願書が却下されたとあっては、仙台藩から奥羽列藩同盟の勧誘があっても加盟しない手はずをとっておったのです。もしも戦にでもなったときには、できれば秋田・津軽と同盟を結び官軍となって北から仙台藩を攻める、そんな企画(くわだて)もあったのでございます。
「伊達六十二万石とてなにするものぞ、仙台・米沢同盟軍は、白河あたりで南から侵攻する官軍との防戦に主力をそそがねばならない。その上に、北から攻める我が南部軍と戦うとなれば、その戦力いかほどのことがあろう。仙台藩には、錦旗を奉じた我が鮫島忠左衛門が暗殺された恨みもある」
 なにしろ、盛岡には南部藩きっての勤王論者弥六郎済賢がおります。
 ところが、このたびの錦旗焼却事件です。しかも姓も同じ鮫島なるあちら(薩摩)の隊長を惨殺し、くわえて錦旗の焼却です。
「隊長沢田斉、何たることを。官軍の隊長を惨殺しただけでも奇矯なるに……」
 かの遠野弥六郎などは拳をふるわせて激怒したのでございました。
 逆賊となったいまは、進むもならず退くもならず、進退きわまったのであります。
 結局は多勢のおもむくままに同盟にくわわる以外に道は見当たらないのです。
 ともあれ、いよいよ奥羽列藩が立ちあがるときが到来いたしました。
 五月三日、白石城における会津藩嘆願列藩会議(閏四月十一日)以来、ひそかに固めてきた奥羽列藩同盟の調印の日がきたのであります。
  九条総督ハ会津ノ謝罪降伏ヲ容レントシタルニ、参謀世良修蔵ラ故ナクコレヲ却(しりぞ)ケ、会津侯ヲモッテ容ルベカラザルノ罪人ト為(な)ス、是レ名ヲ王師ニ仮(か)リテ其ノ私曲ヲ恣(ほしい)ママニセントスルモノナリ、加フルニ庄内ノ如キハ何等罪状ナキニ兵ヲ進メテ襲撃スルハ、客年同藩ガ幕命ヲ奉ジテ薩邸ヲ討伐シタルノ怨(うらみ)ヲ報ゼントスルナリ、我ガ輩豈(あ)ニ手ヲ空(むなし)ウシテ奸賊(かんぞく)ノ残暴ヲ坐視(ざし)スベケンヤ、宜(よろ)シク正義公道ニ依(よ)リ君側ヲ清掃シ忠ヲ皇室ニ尽サザルベカラズ
 奥羽二十五藩各代表が仙台の松ノ井邸に会合し、右のとおり意見の一致をみて奥羽同盟条約を結び、太政官への建白書をつくったのでございます。
 建白の相手は、今や頼りにならない鎮撫総督などではありません、直接に太政官であります。
 これに署名の各藩家老は次のとおりでありました。
但木土佐(仙台藩)、竹俣美作(米沢藩)、野々村真澄(盛岡藩)、戸村十太夫(秋田藩)、山中兵部(ひょうぶ・弘前藩)、丹羽一学(にわいちがく・二本松藩)、岡田彦左衛門(守山藩)、舟生源右衛門(新庄藩)、吉岡左膳(八戸藩)、梅村角兵衛(棚倉藩)、相馬靭負(相馬藩)、秋田帯刀(三春藩)、水野三郎衛門(山形藩)、三田八弥(平藩)、下国弾正(松前藩)、池田権左衛門(福島藩)、六郷大学(本庄藩)、石井武衛門(泉藩)、大平伊織(いおり・亀田藩)、池田孝助(湯長谷藩)、屋山外記(下手渡藩)、椎川嘉藤太(かとうた・矢島藩)、佐藤平太夫(一ノ関藩)、渡辺五郎左衛門(上ノ山藩)、長井広紀(ひろのり・天童藩)。
 越後諸藩にも通知いたしたところ賛同の返事がありました。
 新発田藩主溝口誠之進直政(なおまさ)、村上藩主内藤紀伊守信民(のぶたみ)、村松藩主堀左京亮直賀(なおしげ)、三根山城主牧野伊勢守忠泰(ただやす)、長岡城主牧野備中守忠訓(ただくに)、黒川城主柳沢伊勢守光邦(みつくに)、以上の六藩を加えて三十一藩、がっちりと手を組んだのであります。
 さらに上野山の輪王寺宮公現(りんのうじのみやこうげん)法親王さまを同盟軍事総裁に迎えることに衆議は決しました。
 輪王寺宮と申しますのは、伏見宮邦家親王の第九王子(後の北白河能久親王)でございます。くわしいことは省略しますが、宮はこのとき二十二歳でした。
 これまでは、あくまでも会津救出が目的の同盟でしたが、今はたしかな奥羽越列藩攻守同盟であります。戦を好むものではないが、みな敵として攻めるというのならば、一丸となって守るしか手がないのです。
「敵は天朝に非ず、薩長が主軸の西南諸藩である、攻めるとあらば斬る」
 盛岡藩でも政務御用係の野々村真澄が、そして支藩の八戸藩も家老吉岡左膳を列席させて調印に加わっております。
「錦旗を擁(よう)する以上は薩長といえども官軍、これに刃(やいば)をむけられぬ」
 勤王派を誇る遠野藩(弥六郎済賢)だけは、あくまでも官軍に抗せずとして加わらなかったのであります。
 さて、憤然と立ちあがった会津軍は、すでに官軍が根拠地とする白河城奪還に成功しました。ここは、東北にとっては防備の要塞であります。
 偶然ですがその日は、世良暗殺と同日でした。
 風雲は急を告げてまいりました。
 輪王寺門主の公現法親王さまを擁して、上野山に立てこもって抵抗する幕府方の彰義隊も炎となって破れました。いよいよ北上する戦線、次は宇都宮です。
「麿たちは戦は苦手じゃ、盛岡から秋田とまわって京都へ帰ろうぞ」
 五月二十日、九条総督らは仙台を発って行きました。
 今や鎮撫使は単なる木偶であって、なんら敵対するものではありません。
 仙台藩は丁重にも、護衛の一隊を随行させて南部藩との国境(くにざかい)まで送ったのです。
 盛岡藩でもまた、国境の鬼柳駅まで戸来楽民の銃隊二小隊を出向させて、これを迎えたのでありました。
 すでに列藩同盟は、上野山の砲火と雨の中をからくも脱出された輪王寺宮公現法親王さまを盟主に迎える工作にも成功しております。
 奥羽越列藩同盟は、もはや東北政権の体制を確立するまでに成長したのです。
 親王さまを会津若松城に迎えたのが六月六日でございました。
 ただちに改元されて、大政元年六月十五日の日付で、輪王寺宮は「東武天皇」として即位されております。
「宮様をいただいたからには、こちらも官軍」
 もはや東北の地位保全のために、攻めて来るならば守り抜くといった消極的なものではありません。
 あちらを西日本政府と申すならば、こちらは東日本政府です。
 奥羽越列藩の強力な軍事力を背景にして、京都政権に匹敵するだけの巨大な組織にふくれあがったかに見えたのでありました。
 だれが看破できたでありましょうか、列藩同盟のひ弱さを……。
 運命わずかに三月(みつき)、幻の東北政権でございました。
 
六、菊の間評定(一)総督来盛
小さな一冊 発信
北の杜編集工房
〒980-0803
仙台市青葉区国分町3-1-4 ムサシヤビル4F
TEL022-222-6309
FAX022-222-1142
Copyright (c) 2005 Kitanomori Editorial Office All Rights Reserved.