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北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
四、奥羽暗雲
 
(三)会津謝罪
  戦場はすでに土湯口だけではありません、奥羽諸藩は勅命により出兵し、官軍とともに会津を遠巻きにして、白河口をはじめ大平口、中地村口、中山峠、勢至堂口、石筵口、檜原口等々、各地に開かれかかっておりました。
 さて、盛岡藩の沢田一番隊は、大河原村に駐留して、仙台軍の到来をいまかいまかと待っておるのです。
 盛岡藩には仙台藩のような苦悩はありません。
「幕府が消失した以上は、当然に朝廷である太政官が日本国の覇者である。朝廷即ち天皇の意志は絶対であり批判の余地などあろうはずもない」
 首脳部の考え方は、こういった純粋尊王論であります。
 勅命に「会津を攻めろ」ならば会津を攻める、「庄内藩を撃て」ならば庄内を撃つ、それだけであります。
「仙台軍、到来!」
「おおーぉ」
 見張番りの声に歓声をあげて、盛岡藩兵らは立ちあがりました。
「いざ出撃」
 やっとのことに、仙台藩の一中隊と合流したのであります。
 しかし総督からの指示もあいまい(曖昧)です。
 仙台隊が受けている命令は「盛岡隊と共に会津を攻めよ」というものでした。
 はたして何どめの作戦変更でありましょう、こんどはここから土湯峠を越せというのでありました。
 いまは、仙台と協力して会津を攻めるだけです。
 しかしこれとても形ばかりの連合隊です。
「勅命による出兵なれども会津征伐に非ず、刻を稼ぐにあり。会津軍に向かっては、ゆめゆめ実弾発砲はならず」
 事前に固く指示されておる仙台軍一番隊であります。空砲をはなちはなちの模擬進撃ですから、戦意などみられるはずもないのです。
 ところが、侵入された会津藩兵たちにとっては、仙台藩の苦悩などわかりません。しかも、会津隊は地の利をいかして街道脇で待ち伏せしているのですから、勝負はおのずとみえております。
「盛岡藩はいざ知らず、仙台藩は多年の盟約をやぶっての挑戦とは、武士道にも反する裏切り者、薩長と戦う前の血祭りじゃ」
 会津軍の猛攻な実弾反撃にあったのです。
「転進、転進せよ!」
 隊長は直ちに転進を命じます。転進とはいいますが、じっさいは退却です。仙台藩兵は空砲をならしながら国境外まで後退するばかり…。
 戦わずに退却するかっこうですから、納得できないのは盛岡藩兵です。
 それだけではありません、総督随伴の薩長兵や藩内の尊王派の非難もあります。
「会津征伐に向かいながら、戦わずして退くとはなにごとか」
 出動軍は、進退きわまったのであります。
「意気地ない仙台兵、土湯峠はわが盛岡隊でぬかん」
 はりきるのは、盛岡藩沢田一番隊長です。
 この段階にあっては、のちの朝敵、盛岡藩も総督の覚えめでたきりっぱな官軍だったのであります。
 いいえ、いささかも官軍の方がりっぱだと申しているのではありません。
 ところが、ここで事態は急変したのです。
「引け、引け、会津は降参したぞ」
 仙台藩からの伝令でした。
 土湯峠の戦いはひとまず休戦となりました。各地に繰り広げられておる小競り合いもいったんはおさまったのであります。
 じつはこれより前に、仙台藩は表向きは会津討伐に同意しながらも、米沢藩と協議してひそかに会津藩に対し降伏恭順をすすめておったのであります。
 ぜがひでも奥羽同士の争いをさけたかったからです。
 やっと、会津藩から降伏謝罪の嘆願書提出に応じるむねの使者がまいりました。
 藩主松平容保さまとしても、会津を戦火に巻きこむことだけはなんとしても避けねばならなかったのです。
 どこまでも交戦することは、みずから朝敵であることを認めることにもなるのです。降伏嘆願という屈辱をしのんでも兵乱を避ける道をとるのが、藩主としての責務だと考えられたのでありましょう。
 はげしい評議を重ねて、苦渋のすえに案出した降伏・恭順の嘆願書です。
 朝廷に伝達することの仲介を仙台藩に依頼したのであります。
 伝達するとは申せ、手続きとしては奥羽鎮撫総督の手を経るものであります。
 もとより会津藩としては、必ずしもこれがすんなり受け入れられと信じたものでもありません。
 なにしろ、肥後守容保が江戸におりましたときに、一度は謝罪して恭順の意をしめしたおりのことがあります。
「藩主は城外に謹慎し、京都における争乱の首謀者を斬首してさしだす」
 この申し出でが、
「首謀者は藩主である、松平容保の首をさし出せ。徳川幕府の恭順はゆるせても、朝敵会津だけはゆるしがたい」
 と、ただちに却下されております。
 鎮撫府としては、会津をゆるすことに不都合があったのでしょうか。
 当時、東北には徳川幕府への崇敬と信頼がのこってはおりました。しかし、それは朝廷に逆らうと意味では毛頭もなかったのであります。
 にもかかわらず、鎮撫府は、東北の諸藩に「幕府の完全な瓦解と、朝廷(連合軍)の絶対な威厳」をたたきこむには、官軍の勢力を武力という形でしめす以外にはないと考えたものでしょう。そのために、会津は格好な標的にされたのです。
 しかし会津はいったい、朝廷に対してなにをしたというのでありましょう。
「かつて、われわれ薩長浪士の討幕運動にさいし、京都守護職であった会津藩主松平容保より数々の人的被害をこうむっている。会津藩主従は徹底的に壊滅せしめて怨恨を晴らさん」
 下参謀世良修蔵などは異常なまでに憎悪をいだいておったのでありました。
 蛤御門の戦では、長州の騎兵隊員であった世良自身が会津軍に破れております。その宿敵を討つこと、それだけに燃えているのであります。
「京の恨みを、会津で晴らす」
 それでは私的怨恨以外のなにものでもありません。
 とんでもない男に下参謀という権力をあたえてしまったものです。
 六年前、会津藩主肥後守松平容保さまは、幕府の命を拝受されて京都守護職の大役に任じ、京の町や御所を守るべく忠実にその役目をはたされてきたのです。
 京の都では当時、特に長州藩を中心とする浪人たちが、口では「尊王攘夷」を唱えながら実際はとんでもない集団でありました。
 放火、暗殺、押し込み強盗、はては良家の婦女子を手ごめにして辱める、あらゆる暴行をほしいままにしておったのであります。
 守護職たる松平容保さまが、これをとりしまるのは当然でございましょう。
 蛤御門の戦さ(禁門の変)にしても、もともとは長州藩が大兵を率いて強引にも京都の政権を奪おうとしたものであります。これを撃墜するのは当然の処置でありましょう。
 会津藩からの嘆願書は、次のようなものでございました。
  弊藩ノ義ハ山谷ノ間ニ僻居(へききょ)罷リ在リ、風気陋劣(ろうれつ)人心頑愚ニシテ、古習(こしゅう)ニ泥(なず)ミ、世変ニ暗ク、制馭(せいご)難渋ノ土俗ニ御座候処、老寡君(容保)京都守護ノ職ヲ被二 申付一 候以来、乍レ 不レ 及天朝ヲ尊崇シ、奉(リ)レ 安(ンジ)二 宸襟(しんきん) ヲ一 度一途ノ存意ニヨリ、他事無レ 之粉骨砕身罷在リ、万端不行届ノ義ニ候ヘドモ御垂憐ヲ蒙リ多年ノ間、何トカ奉職罷在リ、臣子ノ冥加無(ク)二 此上一 難(ク)レ 有奉(リ)レ 存高恩万分一モ奉(リ)レ 報度、闔国(こうこく)奮励罷在リ奉(リ)レ 対(シ)二 朝廷(ニ)一 御後(うし)ロ暗キ体ノ心事、神人ニ誓ヒ毛頭無(ク)二 御座一 伏見一挙ノ義ハ事卒然ニ発(おこ)リ、不レ 得レ 止次第柄(がら)ニテ、是亦(また)異心等有レ 之義ニハ毛頭無レ 之候ヘ共、一旦奉(リ)レ 驚(シ)二 天朝(ヲ)一 候段、奉二 恐入一 候次第ニ付(キ)帰邑ノ上、退隠恭順罷在リ候、今度鎮撫使御東下、尊藩ヘ征討ノ命相下リ候由ニ承知愕然(がくぜん)ノ至リ、斯迄(かくまで)奉(リ)レ 悩(シ)二 宸襟(ヲ)一 候義、何共可(キ)二 申上一 様無二 御座一 、此上城中ニ安居候テハ奉二 恐入一 候ニ付、城外ノ屏居(ニ)罷在リ奉レ 待(チ)二 御沙汰(ヲ)一 問、一視同仁ノ御宥恕(ゆうじょ)ヲ以テ寛大ノ御沙汰被レ 成レ 下度、家臣挙テ奉二 嘆願一 候、右ノ段々幾重ニモ厚ク御汲量被レ 下宜シク御執成(としなり)ノ程、奉二 懇願一 候  以上
 家老西郷頼母(たのも)を筆頭に梶原平馬、一ノ瀬用人らが連署したこの嘆願書が、白石の本営に提出されたのであります。
「会津藩から嘆願書が提出された。奥羽各藩糾合して会津赦免の嘆願を申し出よう」
 仙台藩からの招請で閏四月の十一日、奥羽各藩代表は白石に結集いたしました。
 盛岡藩は、総督来駕祝いに派遣中の野々村真澄をそのまま参加させております。
「この会津藩からの降伏嘆願書により、内情を探索したるところ、まさしく降伏謝罪の廉(かど)に相違ない。よって、仙台、米沢両藩主より添願をもって総督府へ進達するが、各藩においてもこれに同意され連名の嘆願書をさしだしていただきたい」
 もとより参集の諸藩(二十五藩)の代表、一人の異議者もありません。
 ここに奥羽列藩平和同盟が成立したのであります。
 もし受け入れてもらえるならば、奥羽の戦火は避けられるのです。
 奥羽としては、勅令を奉じて形ばかりでも火ぶたを切った、その結果の会津降伏とみれば話の首尾もととのったのです。
 しかも、会津から提出され嘆願書のたんなる取りつぎではないのです。これは、奥羽の意思として説得力をもちます。
 四月十二日明け六ツ、馬上の仙台・米沢の両中将に前後して、ともぞろいの鉄砲組、狙撃隊、投機隊、騎馬隊が威風堂々と岩沼の総督府にむけて出発したのであります。
 必ずや受け入れられると、だれもが信じておりました。
 しかし、あわれにもこの嘆願書は実らなかったのでございます。
 
五、列藩同盟(一)嘆願却下
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