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北の杜文庫連載小説「楢山佐渡」
一、武士(もののふ)の道
 
(三)武士(もののふ)の道
  六月二十一日の夕方、監察へ新政府軍務局から次のような書面で指示が下ったのでございます。
一、佐渡ニ処刑申付ル但シ願出ニ依ル切腹法
二、場所ハ報恩寺内十八畳間
三、暁、寅ノ刻(午前四時)ニ開始ス
一、御使置場ハ白幕打廻畳二枚、畳上ニ油紙一枚敷上ニ布団、毛氈、茣蓙敷(ござしき)
二、佐渡儀、無紋水色上下白帷子(かたびら)着用ノ事
三、死骸ハ親類共ニ御任セ申可
 処刑の場所は、佐渡さまが居られる八畳間とは、控の四畳間一つ隔てた隣の間でございます。
 いよいよに処刑当日の未明……。
 切腹については、佐渡さまみずからが願い出ておったものでございました。
 高天井の十八畳間には、すでに四方に白い幕が張りめぐらされ……。
 中央には青々とした新畳が二枚、その上に油紙と布団が用意され、赤い毛氈がのべられてございます。
 新畳二枚の四つ角には、背の高い白木の燭台……。
 灯された二十匁蝋燭(ろうそく)が神秘的な光を放ってございます。
 これからここで行われる崇高な儀式の進行を見守るには十分な明るさ……。
 夜八ツ(午前二時)、佐渡さまは床から離れると朝の身支舞をなさいました。
 いつもより入念に整えられました。
 介添え二名がそれを手伝いました。
 白い帷子に水色で無紋の裃(かみしも)、死出の盛装でございます。
 襖ひとつ隔てた隣室の十畳間には、小監察の早川佐次衛門の配慮をいただいて、別れを惜しむ親類縁者が詰めておられます。
 石亀河内、楢山蔵之進、栃内正人、楢山周蔵、石亀七左衛門、楢山五七郎ら十名ばかり、みなごく身内の者ばかりでありました。
 もちろん、なか夫人は姿を見せるわけにはいきませんが、家人同様の沢田弓太は来ております。
 お支度が終わり最後の食膳が運びこまれました。
 所望(しょもう)によって湯漬けに香の物きりでございます。
 お取りになったお箸を、お椀のふちにチョンとあてられただけで、すぐにもとの位置にもどされました。
 ころあいをみて、入って来たのは小監察高屋寿平……。
「まだお時間が十分にござんす、ゆっくりお支度を召されっておくりゃんせ」
 最後のお別れのお時間を心置きなくという配慮でありましょう。
 佐渡さまは、終始無言……。
 隣室からは、襖越しに忍び泣く声がかすかにもれてまいります。
 おそらく沢田弓太でありましょう。
 わずかに白んでまいりました東の空……。
 仄(ほの)かに浮かび上がる庭の花菖蒲……。
 佐渡さまは、身じろぎもせずに端然として呼び出されるのを待っておられます。
 やがて、縁側の方から付き添い小監察三田善右衛門、遠藤国蔵、工藤政之助、船越八右衛門の四名が静かに入室……。
「そろそろ刻限にございます」
 三田善右衛門のふるえながら呼び掛ける声に、佐渡さまは身じろぎ一つなく無言でうなずいて立ち上がられました。
 衰弱しきった身体は、何か心もとなくヨロヨロといたします。
 工藤政之助と船越八右衛門の二人が、両脇からそっとささえられました。
 先導は三田善右衛門と遠藤国蔵……。
 廊下に出て、儀式がとり行なわれる十八畳間までは約八間の距離……。
 佐渡さまは歩くのがやっとでございます。
 三田と遠藤が入り口の白幕をたくし上げました。
 ここからは両脇の二人のささえを制止されて、お一人で敷居をまたがれました。
 もう元気を取りもどされて、佐渡さまは悠然と落ちつきはらっておられました。
 左側に立っているのは介錯の江釣子(えずりこ)源吉、その後ろに介錯副の高屋寿平……。
 佐渡さまはこの二人にかるく会釈(えしゃく)されて、お一人で中央の切腹の座に歩み寄られました。
 前方には、椅子に座した陣羽織姿の検使役野田丹後、中野舎人の姿……。
 佐渡さまは、お座りになる前にこの二人に丁重にお辞儀をされました。
 二人の検使役もまたおごそかな黙礼でこたえました。
 思えば二人とも、同盟論では意見を異にしたとは申せ、佐渡さまとは昵懇(じっこん)の間がらでございました。
 もし戦局と政局が逆転しておりましたならば、所を代えていたのかも知れないのでございます。
 そう思えば、野田とて中野とて万感胸に迫るものがあったに相違ありません。
 今となっては、ひたすら佐渡さまの冥福を祈るばかりでありましょう。
 佐渡さまは、毛氈の上に静かに正座されました。
 付き添いの三田、遠藤、工藤、船越の四名が、それぞれ燭台の後ろに立ちました。
 やがて、小監察藤森泰助が白木の三方を持って正面から入って来られ、佐渡さまの前に進み出てこれをさしのべて一礼……。
 佐渡さまは、両手を頭の高さまで捧げ、うやうやしく三方を受けとられて自分の前に置かれました。
 佐渡さまの表情には、いささかも動じた気配もございませんでした。
 三方にの上には、型のごとくに九寸五分(約30センチの短刀)……。
 白麻で巻き、さらにその上を奉書紙で巻いて元結いで固く縛ってございます。
 切っ先が二寸五分……。
 刃は剃刀(かみそり)のように鋭い……。
 武士にとっての最高の儀式にございます。
 やり直しのきかない崇高な作法にございます。
 佐渡さまは、三方を前にしてじっと前方を見つめて次の沙汰を待っておられます。
 ほどなく官軍の司刑局権督務官が補務一人を従えて姿を現し、佐渡さまの正面に立って罪状を読みあげたのであります。
「大義順逆をわきまえず……反逆首謀につき刎首」
 佐渡さまは、従容として目を瞑(つむ)られて聞いておられました。
 いや、あるいはお耳に入らなかったのかも知れません。
 いまさら聞いて、納得がいくというものでもございません。
 読みあげが終わると、周りの一同に丁重なお辞儀をくり返されました。
「皆さまにお別れのご一言を……」
 左後方の小監察工藤政之助のふるえ声……。
「われ、ただひとり分別をわきまえず、薩長軍に反逆いたした咎(とが)により、今その罪を一身に負いてここに切腹いたす。ご検視のお役目まことにご苦労に存じます」
 この時のために、かねてご用意の口上でございましょう。
 官軍とも、また錦旗とも申されず、「薩長軍に反逆」の一言は、佐渡さま渾身のお恨みでございましょうか。
 お声こそは低いが、静寂の中にはっきりと響いたのでございました。
 それから再度のお辞儀をされ、ゆっくりと裃を肩から外されました。
 介錯(かいしゃく)は江釣子源吉、二十三歳……。
 かれもまた戸田一心流、佐渡さまとは同門。
 佐渡さま自ら竹刀をとって教授されたこともございます。
 当時一流の使い手で、秋田戦線においては佐渡さまの軍にしたがって戦場をかけめぐり、多くの敵を斬りまくりました。
 佐渡さまには、とくに目をかけてもらった青年でございました。
 江釣子自身も深く佐渡さまを尊敬しておられました。
「表沙汰は刎首だが、形式は切腹」
 これがために盛岡護送の知らせを聞くや、みずから介錯を願い出たのでございます。
「真(まこと)に切腹でござんすならば」
 もちろん、単なる刎首であるならばお断りすると申したでありましょう。
 この日、江釣子は平服に白たすき(襷)、白手甲といった出で立ち。
 いよいよ、剣を抜いて佐渡さまの左背後に立ったのでございます。
 佐渡さまは、胸元をゆるめ、裃を腰まで脱いで下げられ上半身を露(あらわ)にされました。
 古来のしきたりにしたがい、裾を膝の下にしっかりと敷きこみ、体が後方へ倒れないようになさいました。
 武士は後ろ向きに倒れるのを恥といたします。
 佐渡さま、前に置かれた三方の短刀を取り上げて右手に握られ、からになった三方は作法にしたがって後ろに回されました。
 ふたたび短刀を返す用もない三方……。
 ひととき呼吸を整えられるごようす……。
 考えを集中しているようでもございます。
 ここからは、まことに申しあげにくいことでございます。
 しかし、佐渡さまのご立派なご最期のお姿……。
 武士としての最後の儀式でございます。
 高々と剣を空中にかまえる江釣子源吉……。
 失敗も、やり直しも許されません。
 まさしく一本勝負……。
 佐渡さまは、左の下腹に二寸五分の切っ先を深く突き刺されました。
 そして、ゆっくりと右側に引かれ……。
 刃の向きを変えられて上方へ切り上げたのでございます。
 すさまじい動作でございます。
 お顔の筋一つ動かされなかった佐渡さま……。
 静かに短刀を引き抜かれました。
 そして、わずかにお体を前方に傾けられ……。
「かいしゃく(介錯)を」
 あきらかに、後ろに立つ介錯人江釣子源吉の方をふり向かれるしぐさで、最後のお声を出されたのでございます。
「キーン」
 佐渡さまが首を前方にのばされた瞬間……。
 江釣子の剣が、重々しいあたりの空気を引き裂くようにて舞ったのでございます。
 刃が降り下ろされました。
「……」
 佐渡さまのお首は血を噴きながら、音を立てて転がりました。
 どうとばかりに、肉塊となって倒れられました佐渡さま……。
 その血は、張りめぐらされた白幕を越えて陰の襖まで飛び散りました。
 あわれ佐渡さま……。
 時に享年三十九歳でございました。
 介錯の江釣子は、蒼白となり小走りに退がりました。
「佐渡さま、佐渡さまぁ……」
 控えの間に、俯伏(うっぷ)していつまでも慟哭(どうこく)するばかり……。
「佐渡さま、佐渡さまぁ……」
 もう、東の空は朝焼けに染まっておりました。
 おりしもこの刻限、報恩寺周囲の杉木立ちの中に、人影ひとつ……。
 あきらかに、少年の姿でございました。
 拳ふたつを握りしめ、両眼に悲涙をにじませながら、彷徨(うつろ)いておりました。
 
二、青年家老(一)佐渡出自
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